右投手左投手
トントン◆380382 / 2024-08-31 11:15:06 No.10490
 師匠、みなさん、こんにちは。
質問です。右投手と左投手。絶対数が違う以外に、なんか根本的に違うような気がするのですが、。もちろん、ピッチャーは一人ずつ違うのですが、平均的、基本的に。人間は左右対称ではないので、違う、とは巷でいわれますが、どう違うのでしょう?
 主観的には、右投手の方がシンプル?左投手は、右手付近を軸にして、左手が大回りして巻き込むような感じで投げて、ある意味カッコいい、と感じるのですが、合っていますか?合っているとすると、なぜなのでしょう?

ミラクル3◆58d95f / 2024-08-31 21:30:39 No.10491
 こんばんは、トントンさん。

 左投手の球速は右投手の5㎞増しと言われますが、左投手の方が角度があって打者から球筋が見えにくいからでしょうか?

 元高校球児という左投手と対戦したことがありますが、右投手より角度がある感じで全く打てませんでした。

 失礼しました。

フェニックス◆a01292 / 2024-09-01 08:21:49 No.10492
トントンさん
はじめまして。平安高校甲子園100勝の際にコメントした者です。

さて、ピッチングにおける上半身の回転軸は便宜的に脊柱と説明する事が多く、実際には脊柱と胸骨とを結ぶ線上、このいずれかにあります。
つまり体の中心付近です。
串を 中心に刺した焼き鳥を持って串をクルクル回してみて下さい。次に左右どちらかに串をずらして刺しなおし、同様に回してみて下さい。どちらが回しやすいかの説明は不要ですね。
貴殿の主観は「左腕は右手付近が軸に見える」とのことですが、軸は回転運動中は不動(これは独楽であれダンスのスピンであれ時計の針軸であれ普遍の事実)です。
YouTubeに投手のスローモーション動画がヤマほどありますから、線でも引いて 「左腕は右手付近が不動」かどうか、確認してみて下さい。

ご自身の私見を述べることは自由ですが、 金属バットの件といい、余りにも物理と事実と常識とにかけ離れた誤認からくる私見は、ご自身のサイト以外では控えられるべきかと思います。

(議論は致しませんことを申し添えます)

フェニックス◆a01292 / 2024-09-03 11:13:15 No.10497
蔦氏に関する記述を問題にしたからこその上記の書き込みです。
みなさんの誤解のないように補足いたします。

横槍小僧◆3487cc / 2024-09-03 22:01:30 No.10498
フェニックス様、懐かしいお名前久々に拝見致しました。私は10年来のユーザーですが少なくとも重々承知の上拝見しました。

投手のモーションについて、焼き鳥を例えにした説明、非常に分かり易いです。
今春先に掲示板主であるミラクル3様の心情を鑑みて、自説は自由だが、
政治についての見解はこの掲示板では如何なものでしょうかと申し上げた経緯があります。今回は高校野球について金属バット使用の経緯を含めて蔦氏の誉を下げる(遠回しでも)内容に感じました。

フェニックス / 2024-09-04 17:54:18 No.10499
横槍小僧 様

私の事を覚えておられたとは驚きますとともに、大変うれしく思います。また、駄文にお褒めの言葉をたまわり恐縮でございます。

さて、政治の話題の件は横槍小僧様の提案だったのですね。掲示板は全てに目を通しておらず失礼を致しました。ミラクル3様は寛容な方ですので、掲示板での発言は自由にどうぞとのスタンスですが、やはり一定の節度が必要かと思います。特に政治はデリケートな話題ですので、そういった提案をされました事は素晴らしく、敬意を表します。



さて、すでにご理解を頂いておりますように、野球に関する技術論や歴史、用具に関する話題を自由に発言することについては、何の異論もございません。こういった話題はとても楽しいものであり、このサイトが多くの方の目に触れる機会を増やすものだと考えています。

また、あらためて申し上げる事でもございませんが、私の知ったかぶりを振り回して「それは違う。」と発言するつもりも資格もありません。

しかしながら、個人を貶める発言については特に慎重に行うべきだと考えております。

高校野球の監督はある種の公人であり、少々の批判は受けて当然ですし、そういった覚悟がなければ引き受けることは出来ません。

「3点差あるのに4番打者に送りバントを命じた采配には疑問が残る。」

こういった事実に基づいたある種合理性のある指摘の批評はあって当たり前だと思います。

ところが、事実と違う話を持ち出し、言われのない批判をこの場で行う事について大いに疑問を感じます。

「勝負弱い自覚から打力を前面に出した。」

「箕島の打法はタイミングとポイント重視であり、池田はそれらを軽視し振り回すことに重きを置いた。」

「金属バットの弊害として上の(木製バットを使う)レベルで通用しにくくなった」

いずれも事実と異なりますし、読み手が蔦氏の負の遺産だと錯覚しかねない書き方も確認できます。

(注)きちんとした根拠がありますが割愛します。

コメントをされる方々の何倍もの方がこのサイトに訪れていると考えています。これを読んだ蔦氏ファンの方々はどう思われた事でしょう?
単なる名誉棄損、2チャンネルと変わらない場となってしまうのではないかと考えた老人の戯言にお付き合い頂き恐縮です。失礼しました。

名もなき人 / 2024-09-06 15:53:54 No.10501
フェニックス様。
仰ることは道理ですが、せっかくですから根拠を書いたらどうでしょう?それではお相手と同じになりますよ。

フェニックス◆a01292 / 2024-09-08 08:46:17 No.10503
名もなき名人 様
ここまで「私は正しい」というスタンスで書いてきたのを反省し、あくまで「私見」として書きます。
以下のYouTube( 
 )
によれば打力重視の「メンバーに」変えたのが1981年秋ですね。ただ、メンバーを入れ替えただけで1982年の決勝でも細かいサインを出していたようです。それがことごとく失敗して結果7連打になったと。

「振りまわして当てることに特化したバッティング」というのを初めて聞きましたが、タイミングとポイントとはバッティング重要な要素ですから、タイミングが取れないと振りまわせないし、バットに当て難いのではないですか?それと、ポイントがずれるとフェアグラウンドには飛ばないのでは?タイミング完璧、真芯でとらえたけどアルプススタンドへ大ファールというやつです。
https://first-pitch.jp/article/well/b...

https://column.sp.baseball.findfriend...

プロ野球選手というのは全員が高校時代に金属バットを使っていますよね?
20年前でもそうだし、30年前でもほぼそうでしょう?
「上のレベルで通用しにくくなった」というのはちょっと意味が分からないです。
日本の打者のレベルがこの40年間で世界的に下がっているというなら話は別ですが、元甲子園スターのレアケースを取り上げても意味がないのでは?

名もなき人 / 2024-09-09 07:39:40 No.10504
とても分かり易いです。ちなみに池田の全国制覇はゼットパワーのお陰でしょうか?

白道 / 2024-09-09 15:33:30 No.10505
名もなき人様

蔦池田による82、83の夏、春連覇は畠山、水野という後にドラフト1位で指名された投手のお陰です。
ゼットパワーがなくてもベスト4には残ったでしょう。後は時の運です。

86年のセンバツ制覇の時には金属バット規制が成された後ですので、ゼットパワーは関係ありません。

フェニックス / 2024-09-09 16:52:31 No.10506
もう答えは出ていますが、途中まで書いていたので載せます。

初期のゼットパワーは芯に当たれば確かに飛びましたが、高反発エリアがそれほど広くなかった上に、芯の広さ自体ほかのバットよりも狭かったので飛ぶ・飛ばないが割とハッキリしていました。特にグリップ寄りに外すと途端に飛びませんでした。そのため、ゼットパワーを敬遠する選手も少なくなかったです。

「全員がゼットパワーを使った池田にはアドバンテージがあった。」と言うのは誤解ですよ。芯周辺に当てる技術がしっかりしてないと、むしろ他のバットより飛ばなかったのです。魔法の杖ではないです。

池田が活躍した翌1984年から反発力をさらに強化したうえに、芯の範囲も広げたタイプを各社が競って売り出しました。そのため、この年のセンバツ・選手権共に甲子園での本塁打数が急増しています。まさに魔法の杖ですね。

84年型とそれ以前とでは、同じゼットパワーでも長打を打てる能力に随分と差があります。88年に長崎大学が行った「バットの違いによる打球の飛びの研究」では84年型とそれ以前とに分けて話をしています。

この84年型はすぐに割れるとの評判(これはもう伝説的に有名)で、私の母校の選手などは割れにくい古いタイプのバットを使って練習していました。そういう学校は多かったのではないかと思います。

前置きが長くなりましたが、82年夏の池田はもともと打てる打者が並んでいたうえに、大会を通じて打線が好調だった事と、畠山という好投手がかみ合った結果の優勝だと思います。ちなみに国体では夏に打ちこんだ広島商の池本投手に1点に抑え込まれていますね。

好打線が絶好調で夏を制した例として、70年の東海大相模・74年の銚子商・83年のPL学園などを思い浮かべますが、調べるともっとあるかもしれません。78年の高知商は準優勝でしたが類例かと思います。70年の東海大相模以外はみな好投手も擁していますね。

82年夏の池田はそれに加えて、センバツ組の強豪が次々予選で敗退したという幸運もありました。81年の秋・82年の春と池田は結構打っていますが、明徳の弘田投手は打てていません。箕島の上野山投手も弘田投手と似て外角低めへの制球に優れていましたし、池田が苦手とした好左腕を擁した上尾も予選で負けています。

最後にもう一度、「82・83年のゼットパワーは魔法の杖ではないです。」

名もなき人 / 2024-09-09 21:30:37 No.10507
フェニックス様。
白道様。

とてもよくわかりました。
ありがとうございます。

白道 / 2024-09-09 21:51:34 No.10508
 みなさま
 今回、池田高校を巡り蔦さん下げや茶化したこと、反省すべきと重く受け止めております。個人の意見を人様に晒す以上、それは誰かの批判に繋がりかねないわけですから、事実や根拠に基づくものであるか点検し、そこを踏まえて書き込みを行い、議論できればと思っております。今後ともよろしくお願いいたします。

 フェニックス様
 蔦池田に掛けられた疑惑について、正論をお示しいただきありがとうございます。ただ、名乗らない方への返信は不要かも。質間するのなら最低限名乗って欲しいものです。

 高校野球について、好き・嫌いで語るのは良いことです。野球をもっと識りたくなる呼び水。ここに集う方は皆、高校野球が大好きな方ばかり。今後もどのチームが好き、何県の高校野球が好き、自説を語って欲しいと願います。
 問題は”好き”を”良い”と結び付けがちなところ。逆に言えば、自分の嫌いな野球はヒール(悪いもの)であって欲しい、と。恐らくトントン様にとって蔦さんは少なからずそういう存在なのでしょう。
 蔦池田を金属バットによる猛打の野球のお家元であると喝破するのはいいとして、そこを苦々しく思う気持ちも人情としては理解します。しかし自身の勝負弱さから逃げたというのは見当はずれで、守りの高校野球を変えたのであり、あえて言えば逃げたのは、蔦野球の安易なフォローワー達です。

 ”好き・嫌い”がある一方で、”良い・悪い”もある。大好きだからこそ、その物差しで高校野球を測ることも必要。
 たとえば野球を知る方なら、7回制が悪手なのは明白。総体でサッ力ーを70分にするのとは訳が違う。休養日を後二、三日増やすなり、投手の負担は野手の数倍なのだから、ザルとしか思えない一週間で500球以内というアバウトな球数制限を思い切って200球にするなり、実情に沿う形でやれることをすべき。球技の中でも野球の野手の運動量は少ない方ですよ。
 しかし前者は高野連の負担が増えるから、後者は二枚も三枚も投手が必要では公立校に不利になるからできんのでしょうが・・・・。

 元球児として申し上げれば、とかく甲子園の戦績が、その高校のやっている野球を漂泊するので、今こそ”良い・悪い”で監督やチームを語るべきではないか。
 理想のチーム、監督、高校野球について、今後も議論したいものです。

横槍小僧◆3487cc / 2024-09-10 18:26:23 No.10509
こんにちは、今回フェニックス様、白道様、そしてパンダ山岡様の的を射た指摘によって、明かされたことや、知識や語彙がまだまだ不足している私にとっては、他のユーザー様方の博識やレベルの高い議論には常々感心しております。ユーザーとして読みもの(失礼な表現かも)として俯瞰して見るに野球をはじめ、ここはあくまでミラクル3様の掲示板でもありますので、
主様の門外漢の分野はなるべく避け、個人の意見を晒す以上、事実や根拠に基づくものか点検し、謂れなき内容で個人を毀損すること無き様、また他人を不快にさせない、それを踏まえて書き込みをしようと改めて思いました。
白道さんが以前書かれていた、「マニアがジャンルを潰す」の言、頂きました!
堅くなりましたが、
掲示板警察の様な真似事、失礼致しました。

ミラクル3◆58d95f / 2024-09-10 22:03:48 No.10510
 こんばんは、白道さん、

 83年夏の大会前の朝日の記事に、「池田の強打の後ろ盾として、畠山、水納投手の存在がある。その2人が相手打線を抑えてくれるから、打撃陣は安心して自分のバッティングができる」と書かれていました。

 私も、82、83の夏、春は、ゼットパワーがなくてもベスト4には残ったと思います。

 83年夏は、蔦監督が、「広島商、中京と当たって、水野がヘロヘロになってしもうた」と嘆いた籤運の悪さと、「デッドボールの影響がないわけがない」というアクシデントが痛かったですね。

 それでは、この辺で失礼します。当時の朝日新聞は読ませました。

ミラクル3◆58d95f / 2024-09-10 22:22:46 No.10511
 こんばんは、フェニックスさん。

 色々と教えて下さり、ありがとうございます。

 82年夏の池田は、畠山投手と打線が噛み合いましたね。大会後の朝日の記事に、「大会史上でも屈指の強さだった」と書かれたほどでした。

 国体で広島商の池本投手に9回の江上選手のソロホームランの1点に抑えられたと聞いた時は、「PL、箕島、明徳の鬼の3強が予選で負けていなかったら…」と、つい思ってしまいました。

 前にも書きましたけど、「報知高校野球」に、「池田が優勝できたのは、PL、箕島、明徳が予選で敗退したことも大きな要因」とあるファンが投稿し、それに反論するファンの投稿が次の号に載るなど、ちょっとした議論になったものです。

 フェニックスさんが挙げられた好打線が絶好調で夏を制した例の中でも、83年のPL学園が印象的です。83年のPL学園は相手に1度のリードも許さずに優勝しました。

 78年の高知商は打線が絶好調で、勝負強かったです。仙台育英の重い速球を投げる大久保投手から5安打で4点取った試合は、ヒット数こそ少なかったですけど、打線の底力を感じました。

 82年度の池田は、私が知る限りでは、明徳の弘田投手から3試合で2点しか取っていません(新チーム結成早々の練習試合で0-3、秋季四国大会で0-1、春季四国大会で2-4)

 箕島の上野山投手も如何にも池田打線が苦手とするタイプでした。また、左腕に脆いところもありました。

 以上から、「池田が優勝できたのは、強豪が悉く予選敗退したお陰もある」と見たファンがけっこういたわけですね。

 それでは、この辺で失礼します。池田打線は、83年より82年の方が若干強かったように思います。

ミラクル3◆58d95f / 2024-09-10 22:39:00 No.10512
 こんばんは、白道さん。

 7回制は本当に悪手ですね。先発9人全員に3打席回って来ない可能性があることが根本的な問題だと思っています。

 「投手の負担は野手の数倍」ですけど、江本孟紀氏がラジオの解説中に、「外野手はチンタラしていて、何倍も大変な思いをしている自分らピッチャーの何倍も給料をもらっている」と怒っていました。

 1週間で500球以内は根拠レスもいいところです。どこからそういう数値が出てきたのか、全く意味不明です。

 休養日をあと2、3日増やすというのは、日程面や高野連の負担からしまして難しいでしょうね。今年の大会は雨天順延がなかったですけど、雨天順延が3日とか生じたら大会が消化できなくなりますし。

 高野連はとにかく公立校びいきですから…。佐賀北が優勝した時は高野連のお偉いさん達がが小躍りしたそうです。

 それでは、この辺で失礼します。今後も色々と教えて下されば幸いです。

ミラクル3◆58d95f / 2024-09-10 22:44:45 No.10513
 こんばんは、横槍小僧さん。

 お気遣い、ありがとうございます。

 世間の多くの方が知っていることに対して無知な面が多々ありまして…。

 私も皆様の論客ぶりには舌を巻いております。

 今後とも、当掲示板をよろしくお願いします。

 失礼しました。

白道 / 2024-09-11 23:12:23 No.10515
ミラクル3様

毎度丁寧なコメントありがとうございます。恐縮です。

七回制は恐らく外圧なのでしょうね。
アメリカはリトルまではそこそこの人気コンテンツ(特にLLWS)ですが、高校、大学とカテゴリーが上がるたびにマイナーになっていきます。
国際大会を牛耳られているからといって、高野連の数分の一程度の組織に平伏すというのは歯がゆい限り。彼らに一度でいいから日本の夏の大会がどれだけ盛り上がっているのかを、予選からじっくりと見せてやりたいぐらい。見ても知らぬふりでしょうが。

因みにLLWSは確か六回制です。13歳で六回なのに、18歳を頑なに七回までだとする事情を理論的に説明できる方いますかね・・・・?

結局のところLLWSの場合、五回までで打ち切ると興行としては成り立たないから六回までやらせているのですよ、結局は商売。
そのロジックで行くなら、WBSC U-18の大会に強力なスポンサーがつかない限り、米民主党に言いなりの宏池会(岸田)-読売新聞よろしく、WBSCー高野連ー朝日新聞は一蓮托生なのでしょう。特にロス五輪での野球、ソフトボール復活などで借りのある日本野球界ですから、近いうちに黙って高校野球を七回制にするような気がしてきました。

WBSCの各大会の冠スポンサーに、日本の大企業様がもっともっと手を出してくれるのを待つしかないですね。円も戻って来たし・・・・。

ミラクル3◆58d95f / 2024-09-12 21:57:14 No.10516
 こんばんは、白道さん。

 こちらこそ、書き込み、ありがとうございます。

 7回制は外圧ですか。それは十二分に考えられますね。と書きましけど、アメリカの事情は知りませんでした。

 6回制というのは、完全試合でも全員の打席が2打席だからでしょうか? いずれにしましても、何とも中途半端ですね。

 WBSCー高野連ー朝日新聞が一蓮托生だとしますと、高野連が7回制にするのは目に見えていますね。高野連は1度提議したことは必ず実現させますし。反対意見が山ほどあったタイブレーク制もそうでした。

 宏池会(岸田)-読売新聞には吐き気を催してきました。誰が総理になっても、どちらが大統領になっても、その構図は不変でしょうね。

 WBSCが牛耳るWBCの第1回大会は、「アメリカのアメリカによるアメリカのための大会」でした。それは組み分けを見ても一目瞭然だったです。

 それでは、この辺で失礼します。7回制に反対する声が高野連に数多く寄せられていると思います。

フェニックス / 2024-09-13 15:59:17 No.10519
ミラクル3さん

センバツ組が出ていたら池田の優勝はあったか?
昭和の高校野球ファンの間で永遠に語り継がれそうな話題ですね。

個人的には絶好調の池田打線なら弘田投手すらも打ったかもしれません。勢いに乗った打線ほど怖いものはない事は、ミラクル3さんなら理解して頂けるのではないかと思います。

ただ、打線の調子が普通なら、鬼の3強の方が実力的には上かと思います。

余談ですが、荒木投手は池田打線と相性が悪かったのかと考えてしまいます。難しいコースもかなり打たれていましたから。

ミラクル3◆58d95f / 2024-09-13 21:54:49 No.10521
 こんばんは、 フェニックスさん。

 82年の夏は、PL、箕島、明徳の鬼の3強以外にも、上尾、横浜商も予選で敗退しました。選抜組の有力校がこれほど多く敗退したのも、そうは記憶にないです。

 2003年も浦和学院、横浜、中京、遊学館、徳島商が予選で姿を消しましたが、82年の方がインパクトが強かったです。

 私は、「選抜組が出場していたら池田の優勝はなかった」派ですけど、82年夏の池田打線は別次元でしたから、弘田投手や上野山投手を打ち込んだ可能性は十分に考えられますね。

 「鬼の3強の方が実力的には上」と私も思っています。その最大の理由は、鬼の3強の方が投手力が安定していたことと守備力が池田よりも上だったことです。

 荒木は池田打線と相性が悪かったとしか言い様がないです。初回に江上選手に膝元の難しいカーブをホームランされましたが、それで荒木の心が折れたようです。

 それでは、この辺で失礼します。選抜で鬼の3強が8強までの同ブロックに入ってしまったのが今も惜しまれます。

白道 / 2024-09-13 22:21:35 No.10522
 ミラクル3様
「6回制というのは、完全試合でも全員の打席が2打席だからでしょうか?」
 これは私の肌感覚ですが、あくまで少年野球ということで5イニングが妥当なところ、ボーナス的な1イニングを設けることで興行としての盛り上がりを演出しているように感じます。
 LLWSはある意味アメリ力におけるアマ野球界最高峰の舞台。向こうの高校野球や大学野球が、アメフト、バスケのそれに大きく水をあけられているのが残念でなりません。

 横槍小僧様
 返信遅れてスイマセン。
 「「マニアがジャンルを潰す」の言、頂きました!」
 今後もオタクとしてヘンタイとして、身の程をわきまえたうえで高校野球と接していきたいと思っております。

 フェニックス様
 「好打線が絶好調で夏を制した例として、70年の東海大相模」
 私は原貢氏を名将の一人として認識する者です。
 ですが彼の全盛期を知りません。辰徳氏との親子鷹以降の采配しか存じ上げていないのが実情。
 にもかかわらず数多いる名監督の中から、原貢氏を名将に挙げることにいささかの後ろめたさを感じております。
 もしご記憶にあるのなら、70年の東海大相模についてご教示いただけないでしょうか?

 原貢氏の二度の夏の甲子園優勝の戦績を上げておきます。

 第47回大会(昭和40年)三池工業
 一回戦 対高松商  2x - 1(延長13回)
 二回戦 対東海大一  11 - 1
 準々決勝 対報徳学園  3x - 2(延長10回)
 準決勝 対秋田 4-3
 決勝 対銚子商 2-0

 第52回大会(昭和45年)東海大相模
 二回戦 対唐津商 5-4
 準々決勝 対滝川 7x - 6滝川(延長10回)
 準決勝 対岐阜短大付 3x - 2
 決勝 対PL学園 10-6

ミラクル3◆58d95f / 2024-09-14 21:49:38 No.10523
 こんばんは、白道さん。

 なるほど。6回制は、興行として盛り上げるために5イニングにボーナス的に1イニングをプラスしたというわけですか。

 やはり野球は9回制が王道と言いますか、それ以外は野球とは言えないです。タイブレークが邪道であることも、ここでも強調したいです。

 原貢氏の二度の夏の甲子園優勝の戦績を教えて下さり、ありがとうございます。

 三池工、東海大相模での優勝は、際どい試合を何試合もものにしての優勝だったのですね。

 原、津末、村中選手が在籍した74年夏、75年春、75年夏、76年夏は、いずれも接戦を落として敗退しているとは皮肉なものですね。

 それでは、この辺で失礼します。もう各地で秋季大会が始まっていますね。

フェニックス◆a01292 / 2024-09-15 08:54:44 No.10524
白道さん ミラクル3さん

「バントをしないなー。」
70年の東海大相模について呟いた祖父の言葉が思い出されます。
当時の私は朝日新聞のスポーツ欄を隅から隅まで読むような小学生でしたが、紙面にも相模の強打ぶりが踊っていました。

20年ほど前に週刊ベースボール誌に昭和の高校野球を振り返る座談会が掲載されましたが、そのなかで当時の相模を評してNHKの大アナウンサー西田善夫氏が「東海大相模はとにかく投手はアンダースロー(70年の優勝投手の上原氏を指すものと思われます)や左腕で(村中氏を指すものと思われます)誤魔化して打ち勝つ超攻撃野球だった。」というような事を語られていました。
70年夏の優勝候補筆頭は確かセンバツを制した箕島で、PLは後にプロに進んだ新美投手が評価され優勝候補の一角だったと思います。相模は打線は評価されていましたが、チームとしては「原貢監督が率いる」という面が強調されて、それほど評価されていなかったと思います。
それでも10点取られたら11点取ればいいというように、とにかく打て打てと言う感じで岐阜短大付属の剛球左腕・湯口投手も攻略しましたね。
兎にも角にも打ち勝っての優勝という印象が強いです。

原辰徳選手を擁しての3年間は惜敗続きでしたね。特に75年と76年の夏は「ノンプロのような打線」と評され、70年の打線をはるかに凌ぐ高評価を得ていました。
75年は「上尾のベテラン野本監督が、血気盛んな原貢の頭をグリップエンドでコツンと小突くような」敗戦で、76年も小山の急造投手の術中に嵌まりました。
こうして振り返ると、70年の東海大相模打線は大会期間中絶好調だったのだとつくづく思います。

70年の東海大相模は島本投手の箕島と直接対決しても勝った可能性が高いと思います。それほど打線が乗っていました。
相模・箕島・岐阜短付・PLの3試合づつ総当たりリーグ戦方式にしたら相模の優勝はなかったような気がします。

同じことを82年に例の6チームでやったら・・・
もちろん日程が過密にならないようにしてですが、これも池田の優勝の可能性は低い気がします。

ミラクル3◆58d95f / 2024-09-15 21:56:09 No.10526
 こんばんは、フェニックスさん。

 70年は小1でして、東海大相模の優勝は全く記憶にないのが実情です。私は、小4くらいから朝日新聞のスポーツ欄を熟読するようになりました。

 西田善夫氏が東海大相模をそのように評価されていたのですか。西田氏も高校野球の名物アナで、その実況を聞くのも楽しみでした。

 70年の優勝候補筆頭は箕島だったのですね。岐阜短大付の湯口投手に打線が抑えられて負けたと聞きました。その湯口投手やプロで活躍した新見投手を打ち込んだというのですから、東海大相模打線は本物だったのですね。

 原貢監督は、原、津末、村中選手を擁しているチームでも、打ち勝つ野球を標榜していましたね。76年の夏は朝日新聞が、「高校生というより大人の打線」と評していました。75年の打線も破壊力抜群でしたね。

 76年夏は小山の黒田投手の変幻自在の投球に打線が沈黙して敗れてしまいました。土門アナが黒田投手のピッチングを、「まるで何人もの投手が投げているようです」と、実況したのを覚えています。

 70年の東海大相模は、トーナメントならではの勝利だったわけですね。トーナメントは勢いがついたチームが無敵状態になりますから。

 82年に例の6チームでリーグ戦をやったら池田の優勝はなかったと思われます。池田にとって相性の悪いチームが多いですから。

 それでは、この辺で失礼します。70年の朝日新聞の記者座談会を読みたくなりました。

白道 / 2024-09-15 22:51:20 No.10528
 フェニックス様
 返信ありがとうございます。励みになります。

 「バントをしないなー。」
 原貢氏は特にスクイズが嫌いで、二度の優勝もスクイズ無しで成し遂げたはずです。

 この夏、低反発バットになった途端スクイズが増えました。もっとボールが飛ばなかった時代ですから、異端ぶりが際立ちます。

 「上尾のベテラン野本監督が、血気盛んな原貢の頭をグリップエンドでコツンと~」
 仰るように原貢氏は典型的な闘将型。三池工業から東海大相模に着任直後、”俺が神奈川の野球を変えてやる!”と宣言し物議をかもしました。
 回りに敵を何人作ろうとも厭わぬ豪胆さ、ゆえに間違いなくリーダー型のはずなのですが、何故か夏型・・・・。私の分類に収まりきらないのです。

 まぁ最近でも、同じくリーダー型の小針さんが初制覇を夏遂げていますので、まったくの例外というわけではないのですが、あのチームはドラ1を二人出した栃木スペシャル。なのである意味納得がいくのです。一方原貢氏の場合、三池工業の時の上田のみ。しかも二年時なので16年の作新と一緒にはできないと思っています。

 リーダー型のなのに夏までチームをまとめ切る統率力。これはリーダー型で春型の代表である尾藤さんや渡辺さんをしても持ちえなかった、いわば異能。
 落ち着いたら原貢氏について調べ直そうと思っています。

 フェニックス様、返信いただき本当にありがとうございました。

フェニックス◆a01292 / 2024-09-19 18:27:41 No.10535
ミラクル3さん。

先に「池田打線は、83年より82年の方が若干強かったように思います。」と書いていらっしゃいました。大会後に全員が全日本メンバーに選ばれたというのは後にも先にも他に例があったでしょうか?
「2番と8番打者とに差があった」と高校野球マニアのページにその理由が書かれています。
おまけに江上は3年時は不調でした。水野も打率こそ残しましたが、なんでもかんでも手を出すような、かなり強引なバッティングだったように思います。2年生の時の方がほんとに腰の据わった打ち方で、内容は良かったと思います。
こう考えると、9人中4人の打力が落ちています。
ところが「若干強かったように思う」程度の評価で済んでいるのは、5番吉田・9番井上という勝負強い二人の存在があればこそでしょうか?
この二人は大事な場面で本当によく打ちました。

しかも打線を補って余りある水野投手の安定感でしたね。畠山投手はいつ崩れるか?という不安がありましたが、水野投手にはそれがありませんでした。チーム力としては83年の方が上でしょうか?
水野が絶不調でなかったら?
準々決勝でPLの破った相手が高知商ではなく箕島であったなら、それほどPLを舐めてかからなかったのでは?
「高知商に打たれた一年坊主を打てないはずはない(吉田)
初回のクリンナップの打撃を見て「(桑田は)いつでも打てると思った。」(井上)

K・Kに名を成さしめた事が残念でなりません。

それではこれで失礼します。

83年の池田なら、前年度の鬼の3強とも互角以上に渡り合ったとは言い過ぎでしょうか?

ミラクル3◆58d95f / 2024-09-19 21:43:57 No.10537
 こんばんは、フェニックスさん。高校野球マニアのページをお読み下さり、ありがとうございます。

 大会後に全員が全日本メンバーに選ばれたというのは、私が記憶する限り、82年の池田だけです。82年の池田は9人全員が大会を通じて当たっていたからでしょうね。

 蔦監督は、82年の2番の多田選手にはほどんどバントをさせませんでしたが、83年の2番の金山選手にはバントを多用しました。また、82年の8番の木下選手は東洋大姫路戦で決勝ホームランを打つなど強打ぶりを発揮したのに対し、83年の8番の松村選手のことを蔦監督は「普段は打たない子」と評していました。

 83年の江上選手は特に夏は不調でしたね。それで全日本メンバーに選ばれませんでした。83年の水野選手は叩きつけるバッティングで長打が激減し、選抜では長打が0でした。

 9人中4人の打力が落ちているので、朝日新聞の記者座談会で、「去年ほどではない」と評していました。

 5番の吉田選手と9番の井上選手は勝負強かったですね。吉田選手は広島商戦のスリーラン、井上選手は明徳戦の同点スリーベースが印象に強いです。それ以外でも2人は活躍し、9人中4人の打力が落ちている点を補いましたね。

 安定感では、明らかに畠山投手より水野投手の方が上でした。蔦監督は、「畠山は球審からニューボールを受け取ると必ず初球はボールになる」と冷や冷やしていたそうです。ですので、私も83年の池田の方が強かったと思っています。

 PL戦で敗れた要因はいくつもありますね。「高知商に打たれた1年坊主、大したことはないと思って打席に入った」(吉田選手)と、高知商を軽く見ていたことは確かです。PLが倒した相手が池田が警戒していた箕島だったら油断がなかったと思われます。

 水野投手は広島商戦のデッドボールもあって限界を超えていましたね。水野投手は試合前に、「今日はボールが走っていないわ」と言っていたそうです。

 「(桑田は)いつでも打てると思った」(井上)は初めて知りました。

 私もK・Kに名を成さしめたことは、今も残念でならないです。あの試合が歴史的な試合なことは確かでしたね。

 それでは、この辺で失礼します。83年の池田であれば、82年の鬼と互角以上の試合をしたと思います。

白道 / 2024-09-25 18:55:41 No.10547
 アンチ読売のみなさま
 まずもってせっかく応援頂くまたとないチャンスを得たのに、地元甲子園で不甲斐ない結果、誠に申し訳ござません。今年の読売は決して強いチームではなく、アイコンとなる選手も見当たらないだけに残念でなりません。
 この一ヵ月ほどNPBを真剣に眺めましたが、ロースコアのあの二試合は例外として、最後は長打力の差だと痛感しました。甲子園にはラッキーゾーンを復活させるべきだと思います。

 ミラクル3様 フェニックス様
 「準々決勝でPLの破った相手が高知商ではなく箕島であったなら、それほどPLを舐めてかからなかった」
 「PLが倒した相手が池田が警戒していた箕島だったら油断がなかった」
 あの大会前の朝日の座談会だったかで
 「箕島は高野連が池田に放った刺客」
 と書かれていたのを鮮明に覚えております。
 高校野球は国民的行事なのだと、その粋な表現からも感じ取ったものです。べタですが「ムヒ」のCMしかり。
 では果たしてその刺客はどうだったか。
 初戦、かわいこちゃんの吉田相手に大苦戦・・・・。あれはあれでインパクトがあったのですが、こりゃあかんわ、とも思いました。
 ところがあの箕島の粘り、世間は煽りました。「週刊朝日」いわく、”延長の末奇跡的な勝ち上がり方は星稜との一戦を彷彿とさせる。あの夏箕島は池田を破り優勝した”、とか、山藤章ニに「ブラック・アングル」で、巨人の角と硯のバッテリーの絵を描かせもしました。
 池田の三連覇へのボルテージが上がれば上がるほど、対抗の一番手として箕島への期待が、チームの仕上がりとは裏腹に高まっていく。皮肉なものですね。
 ただあの年、池田 ー 箕島の対戦が実現すれば、ミラクル3様の仰る”化け物対決”になったとは思われます。
 尾藤箕島への世間の注目度も、あの吉田戦の直後が実質的にピークだったのではないか。一ファンとしては辛いですが、運気も含めて後は落ちる一方でした。三回戦の相手が高知商の津野と知った時、嫌な予感がしたものです。結果は言わずもがな。
 翌年、嶋田章の九回ツーアウトからの快打は雨なのに逆風に阻まれ、その二年後からは息子が投げれば必ず延長。呪われている感すらあった。
 結局、親子鷹で甲子園に辿り着けず、尾藤さんの情熱が薄らいだように私には映りました。

白道 / 2024-09-25 19:14:13 No.10548
 ここからはヘンタイ的な話になります。

 以前、PLには桑田の投げ方を教え込むメソッドがあった、そんなことを書きました。ミラクル3様からも、横浜が同様であると指摘を頂きました。確かに松坂を一年の秋だったか翌春でしたか初めて観た時、矢野に似てるなと感じましたね。これらは強豪校あるあるなのでしょう。
 実は箕島にも代々受け継がれる特徴がありました。それは右打者の癖で、軸である後ろ脚をズラすのです。特に対右投手の際に顕著でした。示し合わせるようにそれをするので、そう指導されたのでしょう。嶋田はもちろん、硯、勘佐もそうでした。
 箕島は右投げ左打ちを乱造し重用するのではなく、基本右は右で育てるチーム。それだけに尾藤信者としては、プロでもやれる右の強打者を一人でいいから育てて欲しかった。82年のチームで下位を打っていた住吉が、後にドラ1で入団したり、左ですが同じく下位だった畑山も2位の指名でした。投手だけではなく打者を育てるのも上手かったと思うだけに、あのクセがもったいなかった。
 白状すると私もそれをやっていました。右投手で良いカーブやスライダーのある投手との対戦の場合、肩口から来るとどうしてもお尻や踵に体重が乗ってしまうので、それを回避するために踏み込む直後、軸足を意識的に引いてやるのです。
 これで打てるようになると、ストレート待ちでも変化球対応が比較的楽にできる。また腰が良く回るというメリットもありました。
 なのでいまだにやる高校生は多い。最近のドラフト上位指名野手の有名どころでいえば、松川(市和歌)、中村(広陵)、北條(光星)。少し古いですが大田(相模)。それと松坂世代の九州学院の吉本などは典型、それをしないと腰が回らないレベルでかなり深刻でした。
 結局、後ろ脚を引くその一瞬の動きが邪魔になって、手元で伸びるストレートに間に合わない。上のレベルではなかなか通じないというわけです。

白道 / 2024-09-25 20:17:50 No.10549
 続きです。

 82年の選抜、大会NO.1と評された箕島の大型右打戦が、宿敵PLに沈められたのは今もって悔しい限りなのですが、結果には納得です。榎田の手元で伸びてくるストレート、やはりあの軸足を引く一コマが仇となって食い込まれていました。
 翌年は津野に、そしてその次の年は石田にやられる。大型の箕島打線を止めるのは、いつも後にプロ入りする速球派の右投手なのです。
 あえていえば石田は攻略できたのに、仕留めきれなかった。あと一本なぜ出なかったのか、そこは言うまでもありません。
 比較的小型の箕島は山沖、牛島という大会屈指の好投手を圧倒していますが、 あれはすでにヘロヘロだったので参考外。
 少し箕島を下げましたが・・・、いや、下げたのかな? というのはもし自分が指導者なら、右打者には同じように右脚をずらして基本ストレート待ちで変化球対応をしてみろとアドバイスするから。すごく実戦的な打法だ思っています。
 事実、箕島打線はレベルの高い技巧派の中西を相手にしていません。初戦の松商戦の中西は、ミラクル3様の「高校野球マニアのページ」にもあるように完壁でした。川村と共に三者三振の立ち上がりではなかったでしょうか。
 肩口からの大きなドロップ。しかして箕島打線の対応は見事。センバツ覇者を一蹴。まさしくこれぞ尾藤野球の真髄でした。

 強豪各校の指導者の特徴、もしくは癖・持ち味には興味が尽きません。それは伝統として引き継がれるべきものです。
 近年では京都国際の左腕育成能力、再現性の高さが挙げられるのではないでしょうか。また浦和学院が三浦コーチ亡き後、どのように打線を立て直すのかにも注目しています。

ミラクル3◆58d95f / 2024-09-25 22:24:50 No.10552
 こんばんは、白道さん。

 今年の読売は打てないですね。それでも優勝が近いというのは、他球団も軒並み打てないことも要因かと思われます。

 高校野球で飛ばない金属バットが導入されたことですし、私もラッキーゾーンを復活させるべきだと思います。

 83年の箕島ですけど、朝日も毎日も打倒池田の2番手に挙げていました。「箕島は高野連が池田に放った刺客」とは過激な物言いですね。

 吉田戦はインパクト抜群でした。何せ、かわい子ちゃんの吉田に2度も追い詰められ、特に9回裏は絶対絶命でしたから。

 蔦監督は、吉田戦での脅威の粘りを見て、箕島恐るべしの思いを強くした思われますが、なるほど、吉田戦の直後が実質的にピークだったわけですか。

 高知商には新チーム結成後、3戦3勝と聞いていましたし、津野投手の秋田戦の出来が良くなかったですので、箕島有利と見ていたのですが…。

 もし池田-箕島が実現していたらと、現在に至っても残念に思います。できれば両投手が疲弊していなかった2回戦で見たかったですね。

 嶋田章選手の9回ツーアウトからの大飛球はホームランだと思いました。打球が押し戻されたのを今でも覚えています。

 尾藤監督は、是非とも息子さんと甲子園に出場したかったでしょうね。85年のチームが最後の大型チームになってしまいました。

 それでは、一旦、失礼します。

ミラクル3◆58d95f / 2024-09-25 22:37:53 No.10553
 こんばんは、白道さん。

 その高校が輩出した大投手のフォームを後輩が真似るというのは、強豪校あるあるですね。

 箕島のその特徴は知りませんでした。さすがの洞察力と感心いたしました。

 箕島は右投げ左打ちの選手が少なかったですね。上川選手、江川選手、木戸選手、嶋田章選手くらいしか思い起こせないです。

 畑山選手は、本来は4番だったそうです。実際、最後の夏の予選では4番だったです。

 「踏み込む直後、軸足を意識的に引いてやる」ですか。それで83年の朝日の記者座談会で箕島のことを、「全体にカーブ打ちもうまい」と書かれていたわけですね。勘佐選手も硯選手も、そのような打ち方をしていたように思います。

 白道さんが挙げられたドラフト上位指名野手がプロで通じていない理由がわかった気がします。プロではストレートが打てないと生き残れませんから。

 それでは、また一旦、失礼します。

ミラクル3◆58d95f / 2024-09-25 22:52:54 No.10554
 こんばんは、白道さん。

 82年の選抜で、チーム史上最強の打線と尾藤監督が自負していた打線がPLの榎田投手に完封されたのはショックでした。

 榎田投手のストレートに各打者が押されていましたが、その理由を教えて下さり、ありがとうございます。

 言われてみますと、大型の箕島打線が抑えられた相手は、プロに進んだ右の速球投手ばかりですね。

 取手二戦であと1本が出なかったに関してですけど、3番の嶋田章選手5番の坂本選手のブレーキが痛かったですね。4番の勘佐選手が3打数3安打でしたので。

 牛島投手がヘロヘロでなければ結果は違っていたでしょうね。山沖投手につきましては、中村打線がかわい子ちゃんでしたので何とも言えないですけど。

 80年の高知商戦は、尾藤監督として会心のゲームでしたね。初回から3回まで1点ずつ得点したのは箕島の真骨頂でした。

 強豪各校の指導者の特徴には、私も興味があります。星稜といえば左腕、近年の健大高崎といえば破壊力ですね。
 
 京都国際の左腕育成能力には目を見張らされます。それだけに秋季京都大会での早期敗退が惜しまれます。

 浦和学院は、宿敵の花咲徳栄に4-1で勝ちました。三浦コーチの早世は残念でなりません。

 それでは、この辺で失礼します。また色々と教えて下されば幸いです。

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