横浜の奥村投手
杜都◆3a2722 / 2025-06-12 18:43:28 No.11269
横浜の奥村投手が故障しているのでしょうか? 関東大会も専大松戸戦も ベンチスタートだったようですし 登板が一度もないですね 

ミラクル3◆58d95f / 2025-06-12 22:18:26 No.11270
 こんばんは、杜都さん。

 横浜の奥村投手が関東大会で投げなかったのは温存かと思っていましたが、実際は故障していたそうです。

 夏の予選に間に合えば良いのですが…。投げられないとなれば、野手としてオーダーに入るはずです。

 どの高校も主力が故障で欠場とならないといいですね。

 失礼しました。

白道 / 2025-06-15 14:39:03 No.11278
 横から失礼します。
 奥村の怪我の詳細は存じ上げていませんが、あえて言えば人災ではないのか?
 横浜は春の神奈川県大会が雨でG/W期間中に収まらず、結果として決勝は5/7でした。そして関東大会の一回戦は十日後の5/17。しかもその間に宮崎で招待試合(5/10、11)をこなさなければなりませんでした。
 つまり奥村の怪我の原因は直接的ではないかもしれませんが高野連にあると。まぁ、肘がおかしくなったとすれば、センバツの日程が悪いのでしょうが。それも高野連のせいですね。

 高野連や宮崎県の言い分としては、恐らく春の覇者の招待は、去年の秋ごろには決まっていたのだから、となるのでしょう。確かにそうですが、横浜が優勝した段階で招待試合の日程を再考する余地はあったように思います。
 
 でっ、噂話で聞いた話を添えると、高野連は神奈川や関東の各連盟が気に食わないそうです。
 今回も恐らく高野連に言わせるなら、G/Wに春の大会の山場を迎えるよう日程を組んで、こづかい稼ぎをする神奈川が、そして毎年春の関東大会を17チームでやって開催期間を長くする、おまえら関東の各連盟のせいだからな。そんな感じなんでしょうね。

 くだらない招待試合には熱心な癖に、暑さ対策だの投手保護だの二部制だのと、ピントのズレたことしかできない高野連、終わってます。

ミラクル3◆58d95f / 2025-06-15 20:26:10 No.11280
 こんばんは、白道さん。

 選抜大会で結果を残すと招待試合の申し込みが殺到するそうです。招待を受けた以上は主力選手を出さないとならないので、招待試合で故障する場合もあると思われます。奥村投手でそれで故障したとしたら人災ですね。

 休養日は3日はありましたけど、選抜も日程はタイトですから…。夏の予選は日程がもっとタイトになりますので、各チームとも故障者が出ることが気掛かりでしょうね。

 招待試合は考えものですね。近郊の高校に限るとかの制限を設けた方が良いかもしれないです。

 高野連は神奈川や関東の各連盟が気に食わないのですか。それは初耳です。高野連に睨まれたら様々な嫌がらせがあるでしょうね。

 近年の高野連のピントのズレ方は尋常ではないです。多くのファンが高野連の存在意義に疑問を呈していると思われます。

 それでは、この辺で失礼します。高野連は人心を一新すべきです。

杜都◆3a2722 / 2025-06-19 14:11:30 No.11281
こんにちは 原因がそっちだったのですか? そういえば 池田が83年の春に選抜で優勝した時も 招待試合の申し込みが来たらしいですね 当時の池田は水野投手一人しかいなかったので 正直 招待試合はあまり歓迎されない事案だったかと思います。 招待試合や雑誌の取材が大変だったと江上選手が振り返っていましたね 報知高校野球では 83年 3・4月号では 池田優勝特集が組まれていて 巻頭からカラーの数ページは池田の特集ページで飾られていましたね。


ミラクル3@管理者 / 2025-06-19 21:26:12 No.11282
 こんばんは、白道さん。

  No.11278を書き込まれた方を間違えてしまいました。申し訳ございませんでした。

 先程、 No.11278を訂正しました。

 今後とも、よろしくお願いいたします。

ミラクル3@管理者 / 2025-06-19 21:35:38 No.11283
 こんばんは、 杜都さん。

 奥村投手の故障のほどはわからないですけど、故障していたとは、関東大会が終わるまで知りませんでした。

 83年の池田は招待試合をかなり受けたと聞きました。蔦監督は申し込まれた試合は断らない主義だったそうです。

 私が知っている限りですけど、招待試合は1試合だけのケースが多かったようです。興南戦、取手二戦がそうでした。

 当時の池田フィーバーは社会現象でした。雑誌の取材、テレビの取材で練習どころではなかったと聞いたことがあります。

 その報知高校野球は買ったはずですが、引っ越しなどで紛失してしまいました。どの高校野球雑誌も池田特集ばかりだったと記憶しています。

 それでは、この辺で失礼します。今年は大阪桐蔭が招待試合を数多くこなしていますね。

杜都◆3a2722 / 2025-06-20 17:59:59 No.11284
こんにちはミラクル3さん 報知高校野球の83年の3/4月号は選抜の戦力分析などが中心に特集記事で載っていました。池田の選抜での活躍を特集したのは5/6月号でした。 3/4月号は 熊本工が熊本城をバックに写っている表紙でしたので違いました。池田が特集があったのは5・6月号で巻頭からカラーぶっちぎり 水野投手が横浜商の最後の打者をショートフライに打ち取って万歳しているシーンとか 江上さんがショートの頭上を越えるヒットを放ったシーンなどが出ていました。その頃は池田一色で報知高校野球とアサヒグラフもカラーでバンバン池田のページを作っていて  NHKも特集番組まで組んでいました。史上初の3連覇に多いに期待が かかっていて 私は個人的には池田の3連覇があると思っていました。(というより中京に勝った時には確信したものでした。)
しかし、現実は招待試合や雑誌の取材なんやらで 結構蔦監督も困惑していたのではないかと思います。なにせ池田は投手は一人だけでした。選抜はまだそれほど気温が高くないからいいですが、選手権は投手一人では難しいです。
東洋大姫路は投手にアクシデントがあったみたいですね。 大阪桐蔭は招待試合をこなしているんですか・・・西谷監督は厳しい大阪府大会を何とか突破するための戦略をもう練っていると思います。 

ミラクル3@管理者 / 2025-06-20 22:11:47 No.11286
 こんばんは、杜都さん。

 報知高校野球の83年選抜の戦力分号の記者座談会で、「まずまともに行けば、池田の優勝」と言っていた記者が居たのを覚えています。

 横浜商の最後の打者は3番の高井で選手ですね。「球が速すぎて、あのザマですよ」との談話が載っていました。

 江上選手のそのヒットですけど、名手の西村選手なら取れない当たりではないように見えました。三浦投手の3失点は不運な失点ばかりでしたね。

 選抜後の池田のフィーバーぶりは凄まじかったです。NHKが池田特集を組んで、池田を後押ししていたのには驚いたものでした。

 83年の夏の大会は精鋭揃いでしたので、「さすがの池田も優勝はどうかな」と思っていました。私は、箕島、中京、興南に打倒池田の可能性ありとの見方でしたが、PLの初戦の戦いぶりを見て、PLが大きくクローズアップされ、その恐れが現実のものとなりました。

 あれだけの注目を浴びたのですから、蔦監督もマスコミ対応にさぞかし苦慮したはずです。1日に何件もインタビューを受けたでしょうね。

 83年の池田の弱点は、ピッチャーが水野投手しかいなかったことでした。夏は1回戦から登場すると6勝しないとならないですから、ピッチャーが1人だときつかったですね。

 東洋大姫路の木下投手にアクシデントがあったのですか。調べてみます。

 大阪桐蔭は週末ごとに招待試合をこなしているようです。夏に向けて投打とも万全とは言えないようですから、西谷監督は招待試合で新たな選手の発掘に余念がないと思います。

 それでは、この辺で失礼します。国会図書館で80年代の「報知高校野球」を読みたいと思っています。

白道 / 2025-06-21 07:57:58 No.11288
 ミラクル3様
 気になさらないでください。日々日記を更新いただき、ジムに小次郎君のお世話、そして歯の治療に仕事と大変だと思います。
 そんななか、われわれの書き込みーつーつに丁寧に返信いただきそれだけで感謝申し上げる次第です。

 杜都様
 奥村の怪我に直接招待試合が噛んでいるかは不明ですが、横浜高校に科したあの日程は酷いと思っています。

 池田が招待試合を断らないというのは蔦さんらしいですね。酒や宴席が大好きでしたから、いかにもと。
 水野も高校時代の酷使がなければ、もう少しプロでやれたようにも感じますね。

 ここから話が逸れて、いつものように長くなります、スイマセン。
 招待試合で思い起こされるのが尾藤さんです。
 79年春に優勝し、その後招待試合が殺到しましたが、あの年はほとんど断ったそうです。確か、中京商の杉浦さんとの対談でそう語っていました。高野連から石井の肩、肘を護るため毅然と対応したのは立派でした。
 でっ、尾藤さんの漢気にも驚きましたが、その対談で杉浦さんが尾藤さんと同年代(一つ上)であることを知り意外でした。
 杉浦さんが春夏連覇達成したのは、尾藤さんより13年も前のことだからです。
 60~80年代の甲子園は、名将が群雄割拠で、みなその存在をギラギラさせながら覇を競っていました。
 その中心には尾藤(43年生まれ)、渡辺(44年)、鶴岡(45年)中村(46年)、高嶋(46年)がいて、血気盛んな彼らを先輩の原貢(35年)、ほぼ一回り上の木内(31年)、さらに上の蔦(23年)、松田(05年)などが見下ろす、という構図でした。
 ところがその戦場に、杉浦さんは入っていなかったようにイメージしています。実績は春夏連覇で抜群なのに、です。

白道 / 2025-06-21 08:08:11 No.11289
 そこが解せなくて、先輩のオタクに訊ねたところ、いったん監督から部長に引っ込んだり、また戻ったりしたからでは、ということでした。
 確か大学を出て就任三年目で春夏連覇してしまったため、いわゆる上がりのポジに早々に就いてしまったのかな、などと勝手に想像しています。

 杉浦さんは中京商の甲子園100勝を飾るなど、依然持ってる男ではありましたが、結局83年、悲願の打倒池田が叶わず、直後に体力的にも精神的にも限界だとして辞任します。
 御年42歳・・・・。
 先日東北大会を制し、夏の優勝候補に躍り出た仙台育成の須江さんが、この春42になったばかりであることを踏まえるなら、いかにも若過ぎです。

 名門中京商の監督は特別大変だという話を伺ったことがありますが、杉浦さんの退任の背景に何があったのか、ご存知の方がいたらご教示いただきたいところです。

ミラクル3@管理者 / 2025-06-21 20:38:55 No.11292
 こんばんは、白道さん。

 お気を使って下さり、ありがとうございます。

 なんだかんだありまして、1日があっという間に終わるのを実感しております。

 蔦監督は池田が無名時代に練習試合の申し込みを断れまくったことで嫌な思いをした経験から、招待試合や練習試合の申し込みを断らないようにしていたそうです。

 水野投手は頭部にデッドボールを食らったのも痛かったですね。招待試合などでの酷使も祟ったと思われます。

 79年の選抜優勝後に尾藤監督が招待試合をほとんど断ったことは初耳です。石井投手は投げ方に負担がある投法でしたので、もし招待試合を数多く受けていたら、予選の前に故障したでしょうね。

 尾藤監督と杉浦監督は1歳違いだったのですか。杉浦監督の方がだいぶ年配だと思っていました。

 当時の監督の年代を教えて下さり、ありがとうございます。45年前後に生まれた監督は、70年代から80年代にかけて少壮監督として覇権を争っていました。

 高知商から明徳に異動した松田監督は蔦監督すら見降ろしていて、79年、82年は甲子園で実績を残した池田ですが、明徳にはとことん相性が悪かったです。

 その戦場に杉浦監督が入っていなかった感がおありなのは、杉浦監督が一時、中京の監督を退いていたからかもしれませんね。78年は確か深谷監督だったと思います。

 それでは、一旦、失礼します。

ミラクル3@管理者 / 2025-06-21 20:54:27 No.11293
 こんばんは、白道さん。

 杉浦監督は、そんなに出入りが激しかったのですか。若くして春夏連覇して、達成感に浸ったのかもしれませんね。

 83年の杉浦監督は、打倒池田の執念に燃えていました。朝日の記者座談会に、「中京の杉浦監督は、池田ともに高知商をマークしている。力強い打撃をするし、今まであまり見かけなかった走る野球をすると」とあったのが印象に残っています。

 杉浦監督は打倒池田ならずで、精神的に燃え尽きてしまったようですね。それは画面からも見て取れました。

 須江監督がまだそんなに若いというのにも驚きですけど、42歳といえば、監督として一番脂が乗っている年齢ですが、やはり燃え尽きたとしか言い様がないです。早くお亡くなりになりましたし。

 名門校の監督は、どこも大変なようですね。かつての銚子商や静岡などはうるさ型のファンやOBがごまんいましたし。

 それでは、この辺で失礼します。70年代、80年代は、名物監督が多かったですね。

杜都◆3a2722 / 2025-06-21 23:26:43 No.11296
こんばんは 横レス失礼します 
83年の杉浦監督は 選抜大会に中京が出なかったことで 解説として呼ばれているときに 池田の打線についての感想は 1番から9番まで 強打者がそろっていて 単にあてに行っているのではなくスイングは恐ろしく速いことや もう一つは下位打線から上位打線へのつながりが素晴らしいことを上げていました。岐阜第一高校との試合を見たあとに言っていたことなのですが 加藤投手を上手く攻略したのは 特に8番の松村(左) 9番の井上(左) この二人の左打者の活躍を上げていました。そして1番の坂本(右) 2番の金山(右) 3番の江上(左) へと続くこの5人のうち3人が左打者であることを挙げ 左投手が抑えられる可能性があることを示唆していました。 左投手といえばやはり興南の仲田投手 しかし 上宮に一回戦で負けたので こうなると池田を止めることができる投手は誰なのか? 横浜商の三浦投手ぐらいかと 言っていましたが 池田を最も苦しめたのは 明徳の山本賢投手でしたね 技巧派でそのスマートなピッチングは恐れ入りました。あの試合よく勝てたものだと思います。左打者の井上選手の功打がなければ落としていた試合ではなかったでしょうか?

ミラクル3@管理者 / 2025-06-22 19:50:47 No.11298
 こんばんは、杜都さん。

 83年の選抜大会は、東海地区からは東海大一、享栄、岐阜第一が出場していました。中京は秋の東海大会で早期に敗退したと思います。

 朝日新聞も池田打線を、「1番から9番までが投手の甘い球を逃さず強打できることが強み」と書いていました。

 83年の池田は9番の井上選手の存在が大きかったですね。前年の山口選手よりも効いていたと思います。

 岐阜第一戦は、5回まで加藤投手に完全に封じられていましたが、6回、7回とビッグイニングを作りました。その攻撃を見て、杉浦監督は池田打線を脅威に思ったわけですね。

 池田打線は左投手にやや脆いとされていました。実際、招待試合で仲田投手にシングルヒット7本で完封されました。

 明徳の山本賢投手は、池田が最も不得手とする低めを丹念につく投手でしたね。秋の練習試合でも1点に抑えられていましたので、蔦監督が明徳戦を山だと思っていたようです。

 明徳戦は負けパターンに嵌っていました。それだけに井上選手の乾坤一擲の打撃が光りました。

 三浦投手も善戦しました。3回の2失点は不運でしたね。

 それでは、この辺で失礼します。83年は話題に尽きませんね。

杜都◆3a2722 / 2025-06-23 09:03:10 No.11300
こんにちは
朝日新聞もそうかかれていたですか? 杉浦監督がインタビューを受けていたのは 担当した岐阜第一戦の後でしたので確かにその可能性が高いですね  下位打線からチャンスを作る機会もあるのと しかも 8番の松村 9番の井上が左の強打者であることを言及していました。
池田の強力打線を封じれるのは 左の好投手を持ったチーム で興南 報徳をあげていましたが実はこの2校は岐阜第一に勝った地点ではもう負けていましたので、杉浦監督は 横浜の三浦投手が最も可能性があるという言及をしていました。
しかし私はその時点で 横浜の三浦投手は池田をある程度は抑えられるとは思っていましたが完封とかは難しいだろうなと感じていました。 次の対戦相手は大社高校 ここは軽く勝てると思っていましたが 次の高知の明徳  正直 ここが事実上の決勝戦だと思っていました
山本投手の抜群の制球力やカーブで簡単にストライクを取って それにシュートを右打者のひざ元に決めてくるところ これにはさすがに舌を巻きました 7回まで1点も入らなかったので もしかしたら流石の池田もここまでかな と思ったのですが・・・・
やはり杉浦監督が予言した通り 左の強打者 井上選手が 外野にヒットを放ち勝負がありましたね

ミラクル3@管理者 / 2025-06-23 20:27:29 No.11301
 こんばんは、杜都さん。

 朝日新聞は83年の池田打線にも高い評価を与えていましたが、前年のチームほどではないと書いていました。

 当時としては、8番と9番が左バッターというのは珍しかったですね。

 池田の逆ブロックからは横浜商が上がって来ると思っていました。私も、三浦投手でも3点くらいは取られるだろうと思っていましたが、実際、3失点でした。

 毎日新聞は明徳を、「今大会で池田が初めて当たる骨のある相手」と評しました。蔦監督も試合前に、「1点で決まる」と言っていたと、羽佐間アナが紹介していますね。

 山本賢投手は、打てそうで打てない典型的なピッチャーでした。カーブが決め球でしたが、ストレートやシュートにも切れがあって、池田打線は外野に打球を飛ばせず、2回表の1失点が致命傷になると思いました。

 それだけに、8回裏にエラーで松村選手を出塁させてしまったのが明徳には痛かったですね。井上選手の低めのボール球を痛打したバッティングには舌を巻きました。

 それでは、この辺で失礼します。池田-明徳は、YouTubeでフルに観ることができます。

白道 / 2025-06-27 18:40:17 No.11307
杜都様
杉浦さんの池田打線へのコメント、明徳戦で予言通りとなりました。解説席から池田を標的に見立て分析していたのでしょう。春夏連覇を成し遂げた監督ですから、倒し甲斐のある相手だったと思います。

それにしても杜都様が、杉浦さんの池田評を鮮明に記憶されていることにも驚きました。
みなさん池田の話題になると、記憶が甦り筆も弾む。名勝負フェチとしては物足りなかったですが、蔦池田は高校野球史上最も人気のあったチームということになるのではないか。

また人気だけではなく、蔦池田の野球を再評価すべきだとも思うようになりました。これはミラクル3様の掲示板に寄せていただくようになってからの気づきであり、いわば宗門改め。
勝負事は結果がすべてなので、一年坊主の桑田にあっけなく捻られた幕切れや、畠山、水野以降、甲子園を沸かせるような選手を輩出できなかったこと、しかもその二人ですら世間の期待ほどプロでは活躍できなかった点なども含め、あの野球が果たして正しかったのか、猜疑の眼差しを向けていたことを白状せねばなりません。
帝京前田氏のような安易なフォローワーが多かった関係で、 蔦さんの功績がボヤけたようなところもあった。

池田の野球は選手にウェイトを強制し身体を大きくして、力任せに振り回すだけの能天気な野球、対して打撃論からしっかりと叩き込むのがPL野球、そういうアングルで見ていました。アンチでしたが、PLの奥義にはいまだに惹かれるものがありますね。あれだけプロに人材を送り込んだわけですから。

しかして去年の春の関東大会を眺めていて、あまりにも近畿の選手とは体格が違うので、”近畿勢大丈夫か?”、と思うようになりました。大阪桐蔭、履正社、報徳、京都国際、滋賀学園、みな選手の線が細かった。そして彼らのやってる野球を遡ると、等しくPLに辿り着きます。

去年の夏は京都国際が優勝し面目を保ちましたが、あれは左腕育成に定評のある京都国際の総合力というより、関東一の勝負弱さから互いに頂点の座を譲り合った挙句の産物に見えました。

今年も地力は関東勢が圧倒的に上。スカウトや大学のセレクター目線で眺めてみても、関東の選手の方が魅力ありますね。

前田氏が池田から持ち帰った蔦さんの野球が、令和の今、関東の地で花を咲かせているように感じる今日この頃です。

ミラクル3◆58d95f / 2025-06-27 23:27:34 No.11309
 こんばんは、白道さん。

 83年の池田はPLに完敗したことと守備に難があったこと、さらに後にプロ入りしたのが水野投手だけで、プロでさして活躍できなかったことで評価を下げたことは確かですね。

 蔦監督の粗い野球は人気は抜群でしたが、勝つ野球でなかったとの評価も受けました。

 数々のPLOBのインタビューや手記などから、PLでは基礎が叩き込まれたことがわかりました。それと過酷すぎる寮生活で精神面が鍛えられたことも大きかったようです。

 昨年は大阪桐蔭、報徳学園が甲子園で結果を残せませんでしたが、言われるように線が細かったですね。智弁和歌山の選手は体格は良かったのですが、大型チームの脆さを露呈しました。

 京都国際と関東一は、正直言いまして、貧打戦に近かったように見えました。それにしましても、タイブレークの10回裏をはじめ、関東一は勝負弱かったですね。

 今年の関東は、横浜、健大高崎、浦和学院のほか、東海大相模、山梨学院、さらには「報知高校野球」によりますと千葉学芸が大型チームだとのことです。

 前田元監督は、83年の選抜大会で自信があった自チームが池田に大敗したことで蔦監督に師事し、蔦イズムを持ち込んだことは有名ですが、なるほど、今の関東の野球が蔦野球の系譜を引いているというわけですね。

 それでは、この辺で失礼します。池田の話題は尽きませんね。

杜都◆3a2722 / 2025-06-28 15:06:52 No.11311
こんにちは 白道さん

杉浦監督のインタビューでは池田を抑えられるとするとどういう投手なのかという点を中心に解説されていました。 下位からチャンスを作って上位で返すシーンが多いことを挙げていたので8番の松村 9番の井上が要注意だということを言いたかったのだと思います。池田は9番に強打者がいるというのも本当ですね。松村選手と井上選手が活躍するシーンは夏の中京戦でもありましたね。

自分で左打者に注意が必要といっておきながら 9回の表では 8番と9番に連続ヒットを打たれ追加点を献上してしまったのですから 杉浦監督は悔しい思いをしたと思います。

1番の坂本選手にもヒットがでて池田の底力を感じた試合でした と同時に 9回の水野投手の投球を見て 前人未到の3連覇は 硬い と思いました。

80年代前半の高校野球は目玉のような話題をさらっていく試合が毎年ありましたね 
79年春 浪商ー箕島  79年夏 星稜ー箕島   80年夏 早稲田実ー横浜 
81年夏 報徳ー早実 82年夏 明徳ー箕島 83年春 池田-明徳 
83年夏 池田ー中京  
  
これらの試合はすざましい視聴率で 私がよく覚えているのは早稲田実ー横浜戦の視聴率は当時のプロ野球の視聴率をはるかに上回る数字でした。 商店街のモニターには多くの人が集まっていましたし アウエイの西日本でさえ みんなテレビの前で愛甲と荒木の投げ合いを見ていました。

確かに今の時代にあった高校野球の変更は必要なものとは思いますが 正直 タイブレークとか試合を面白くなくさせていると感じます。

帝京の前田監督は池田の蔦監督から教えを受けたというのは有名な話ですね。どうりで蔦監督の葬儀では前田監督が泣いていた理由が分かりました。

johanneesk◆58d95f / 2025-06-28 20:13:29 No.11312
 こんばんは、杜都さん。横レス、失礼します。

 早稲田実ー横浜の視聴率は当時のプロ野球の視聴率をはるかに上回る数字だったのですか。当時プロ野球は国民的娯楽でしたが、高校野球がそれ以上だったのがよくわかりますね。

 70年代後半、80年代前半の高校野球はとてつもない人気があり、球史に残る名勝負がいくつもありました。

 タイブレークは邪道そのもので、野球ではありません。高野連は悦に入っているのでしょうけど。

 前田監督は蔦監督の葬儀で泣いていたのですか。葬儀に参列したことは知っていましたが、それだけ世話になったのでしょうね。

 失礼しました。

杜都◆3a2722 / 2025-06-28 21:53:17 No.11314
こんばんは
視聴率では 1980年8月22日 第62回決勝 横浜 - 早稲田実業 12:00 - 15:40
関東地区39.9%(NHKでの視聴率)愛甲3年(横浜)vs荒木1年(早実) とありますが

巨人対中日の 10.8決戦 投手が巨人の桑田で 1塁に立浪さんがヘッドスライディングしたので有名な試合ですね。 その視聴率が 1994年10月8日 中日ドラゴンズ - 読売ジャイアンツ(10.8決戦)関東地区48.8% とありますので それには劣りますが

横浜対早稲田実があった1980年のプロ野球の最高視聴率は 39.9%の視聴率より高いのは見当たらないです。 

1985年11月2日  西武ライオンズ- 阪神タイガース・第6戦 関西地区の視聴率が40.5%なのでいかに横浜対早稲田実の視聴率が高かったかということがお分かりになると思います

また83年の 池田対中京の視聴率は記録されていませんが 第1試合にも関わらず、多くの高校野球ファンが押し寄せ、満員御礼で切符はすぐ売り切れになったということから 国民の関心度は恐ろしく高い試合でしたね。 天下分け目の天王山の決戦として知られています。

ミラクル3◆58d95f / 2025-06-28 23:36:40 No.11316
 こんばんは、杜都さん。

 横浜 -早稲田実業はそんなに視聴率が高かったのですか。注目のエース同士の対戦ということもあったと思われます。

 10.8決戦は視聴していましたが、落合選手の先制ホームラン以外は記憶からほとんど抜け落ちています。立浪選手がPLの1年生の時、桑田投手の付け人だったそうですね。桑田投手は練習に明け暮れていて、あまり世話をする必要がなかったとのことです。

 1980年のプロ野球は10.8決戦のような注目の試合はなかったですし、日本シリーズも広島-近鉄という地味なカードでした。

 西武- 阪神の第6戦の関西での視聴率はもっと高かったと思っていました。それからしましても、横浜 -早稲田実業の視聴率の高さがわかりますね。

 83年の池田-中京は、朝早くに満員札止めになったと聞きました。もちろんライブで視聴していましたが、その凄い熱気の中での試合でした。正に日本中が釘付けになったような試合だったですね。

 それでは、この辺で失礼します。83年の夏は伝説としか言い様がないです。

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