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1983年の夏
名無し
◆a746dc
/
2025-07-07 21:44:10
No.11356
ミラクル3様こんばんは。
今日の日記で83年の興南の話題が出てきましたね。私は2010年の興南の登場まで沖縄県史上最強のチームだと思ってきました。それでも春夏で1勝しかできなかったのは仲田の不安定さにありましたね。ただ、春の敗退は本当に気の毒でした。快投を続けていたと思ったら突然四球を連発しストライクを取りに行った玉を痛打されるシーンを阪神時代も含めて何度見たことか。それでもあの年の興南は俊足のトップ平田や仲田バッテリーが記憶に残る仲田秀、西泊や島袋など脇を固めたメンバーも記憶に残ります。
その興南は優勝候補の6番手だったのですね。すっかり記憶から抜け落ちていました。私は池田、中京、興南、横浜商、箕島、広島商、高知商の順に評価していました。私は宮城県出身ですので仙台商の左腕萩原も記憶に残っています。あの大会ではこれまで上げた後攻以外にも創価や岐阜第一、東海大一、宇部商、市尼崎、久留米商、佐世保工など強豪がずらりと揃い正直言いますとP Lの優勝はないと思っていました。それがあの快進撃。長いこと高校野球を見ていますがあれほど当たるべからず勢いを感じたのはあの年のP Lしかありません。
とにかく、私が一番熱中して見ていた大会がこの83年大会です。選手のスケールという点では76年に劣るかもしれませんがとにかく強豪の数、質とも史上最高でした。私はKKが君臨した3年間の高校野球が一番印象に残っています。この頃は東西初戦対戦方式、その都度抽選、準々決勝はフリー抽選、延長は18回まででタイブレークなんて愚行はなく、7回制なんてもってのほか。この頃の高校野球は本当に良かったですね。
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ミラクル3
◆58d95f
/
2025-07-08 00:19:09
No.11359
こんばんは、名無しさん。日記をお読み下さり、ありがとうございます。
私も、2010年に興南が春夏連覇するまでは、83年の興南が沖縄県史上で最強のチームと思っていました。
そのチーム力からしましても、春夏で1勝は少な過ぎましたが、籤運が悪かったことは確かです。それと、仲田幸司投手の勝負弱さとヒットの割には得点が少なかった攻撃力も、その原因だったですね。
選抜の上宮戦の最後は気の毒でした。ゲッツー崩れでサヨナラ負けとなったのですが、ファーストはセーフに見えました。
仲田投手のジキル&ハイドピッチングは、高校時代もプロ野球時代もでした。肝心なところで痛打されましたね
83年の興南は役者揃いでした。俊足揃いのメンバーの中で最も足が速く、バッティングも良かった平田選手と長打力があった西泊選手が特に印象に残っています。
興南が優勝候補の6番手だったことからも、83年夏のレベルの高さがわかりますね。他の大会でしたから、もっと上の順位だったはずです。ちなみに、私は、池田、箕島、中京、興南、横浜商、高知商、広島商の順に評価していました。
83年夏は他にも多士済々のメンツで、PLの優勝はないと思っていました。ただ、所沢商戦を見て、侮りがたしと思ったしだいです。PLはそれ以降、完全に勢いに乗りましたね。まさに、当たるべからず勢いでした。
83年夏は伝説の大会で、これほど優勝候補は充実していた大会はなかったと、今でも思っています。選手個々の力では76年の方が上でしたけど。
KKが3年の85年までが最高に高校野球が面白かったですね。86年以降は、何か流れが変わったように感じています。
東西初戦対戦方式、その都度抽選、準々決勝はフリー抽選、延長は18回まで…これぞ高校野球の醍醐味でした。
タイブレークは愚行としか言い様がないです。それを遥かに上回る愚行が7回制です。7回制だけが絶対にあってはならないです。
それでは、この辺で失礼します。懐かしいお話、ありがとうございました。
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杜都
◆3a2722
/
2025-07-09 22:08:40
No.11364
横レス失礼します。
自分は 池田とともに箕島、横浜商が大会3強を形成し、紙一重で中京、高知商、興南が続き、それを追う広島商というミラクル3さんが書かれている朝日新聞の記事にはあまり納得していませんでした
というのは横浜商は二回連続池田に完敗していたからです。
この7チームを例えると 横綱が池田 大関が中京と箕島 関脇が横浜商と興南 小結が高知商と広島商という感じでした。
当時は不思議とPLにはあまり怖さを感じていませんでした。 力は未知数(不確定)という感じでした。高知商戦の後 PLの強さを知りました。
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今日の日記で83年の興南の話題が出てきましたね。私は2010年の興南の登場まで沖縄県史上最強のチームだと思ってきました。それでも春夏で1勝しかできなかったのは仲田の不安定さにありましたね。ただ、春の敗退は本当に気の毒でした。快投を続けていたと思ったら突然四球を連発しストライクを取りに行った玉を痛打されるシーンを阪神時代も含めて何度見たことか。それでもあの年の興南は俊足のトップ平田や仲田バッテリーが記憶に残る仲田秀、西泊や島袋など脇を固めたメンバーも記憶に残ります。
その興南は優勝候補の6番手だったのですね。すっかり記憶から抜け落ちていました。私は池田、中京、興南、横浜商、箕島、広島商、高知商の順に評価していました。私は宮城県出身ですので仙台商の左腕萩原も記憶に残っています。あの大会ではこれまで上げた後攻以外にも創価や岐阜第一、東海大一、宇部商、市尼崎、久留米商、佐世保工など強豪がずらりと揃い正直言いますとP Lの優勝はないと思っていました。それがあの快進撃。長いこと高校野球を見ていますがあれほど当たるべからず勢いを感じたのはあの年のP Lしかありません。
とにかく、私が一番熱中して見ていた大会がこの83年大会です。選手のスケールという点では76年に劣るかもしれませんがとにかく強豪の数、質とも史上最高でした。私はKKが君臨した3年間の高校野球が一番印象に残っています。この頃は東西初戦対戦方式、その都度抽選、準々決勝はフリー抽選、延長は18回まででタイブレークなんて愚行はなく、7回制なんてもってのほか。この頃の高校野球は本当に良かったですね。