ドラゴンボールGTの工藤静香さんのタイアップは上杉さん・柴崎さんのWANDS脱退と関係あるのか?
YASU◆c45217 / 2021-12-05 18:31:45 No.6175
https://wesugisan.exblog.jp/23162477/
上杉昇さんの楽曲の検索をしていてたまたま上記のページを見つけましたが、上杉さんと柴崎さん在籍時の最後に渡された曲はドラゴンボールGTのタイアップ用だったようですね。
このままではもうWANDSでは自分のやりたい音楽は出来ないと脱退したようですが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%...
↑を見るとZARDの「Don't you see!」がその代わりにタイアップとなったのかなと思います。
その後もWANDSはまだメンバーが決まっていなかったり、大黒摩季さんも「空」が中華一番のタイアップになっていたりとビーイング側で楽曲が用意できず、工藤静香さんの「Blue Velvet」がGTではビーイング以外唯一のタイアップになったのかなと思ってしまいます。
タイアップ期間は他の楽曲に比べると短いですがWANDSのメンバーが決まりようやく楽曲が出来上がったタイミングもあったのかなと思います。
最初のDEENが一番長いのもWANDSの予定が狂ったというのもあるのかもしれませんね。
また渡された爽やかな楽曲ですが、1996年というとまだ小松未歩さんがFOVで自身のデビューよりも先に作家デビューする前ですし、織田さんや栗林さんあたりの楽曲で上杉さんに歌われなかった後は他のアーティストに回されたのかなと思います。

MOMA@管理者 / 2021-12-05 22:30:51 No.6176
『SINGLES COLLECTION+6』直後(96年前半)にスパッと交渉決裂して辞めていたとすると、小松未歩の活動開始時期より前すぎるし、工藤静香のタイミングが当初WANDSのはずだったとするにはズレてしまいますね。そしてDEENの次の枠でWANDSにポップ路線の曲を持ちかけた事になり、織田曲か栗林曲かといったところでしょうか。またB社側はWANDS再始動に1年半くらい時間をかけていたことになりますね。

なんだかんだ色々揉めているうちに(脱退劇を先導した人物が柴崎も追従させようとして時間かかったのも踏まえて)96年末~97年始め頃が脱退だとすれば小松未歩、工藤静香のいずれのタイミングもありえなくはなく、B社側も勢い任せで新メンバー2人連れてきて半年程度で再デビューさせたという事になりそれはそれでなんかありそうなんですけどねぇ…

YASU◆c45217 / 2021-12-06 02:17:56 No.6177
https://wesugisan.exblog.jp/22115770/
al.ni.co始動当時の音楽雑誌の記事では上杉さん、柴崎さん共に1996年6月30日をもってWANDSを脱退となっています。
爽やかな楽曲はそれ以前に渡されたということになり時期的には小松さんの楽曲ではないかなと思います(例外は一部ありましたが基本的に小松さんの作詞・作曲はセットで、WANDSは上杉さん自身の作詞だったというのもありますが)。
WANDSを抜けた時期も上杉さんは有り得ますが、柴崎さんも本当に同時期だとすると脱退よりも前にK氏やレコード会社と交渉していたのかなと思いますが、それだとal.ni.coの始動までに時間がかかりすぎているなと感じます。
どのみち1996年半ばの時点で当時のWANDSとしての制作は困難になっており、1997年に入ってからメンバーが見つかり制作が始まって、ドラゴンボールGTの工藤静香さんのタイアップはフジサンケイグループのポニーキャニオン所属ということもあってか、錆びついた~までのつなぎだったのかなと思います。

MOMA@管理者 / 2021-12-06 08:57:00 No.6178
FC会報が1996年7月に普通に出て、次の会報がメンバー不在になっていたそうなので6月末付で終わっていたとするとしれっと7月号発送してた事になってそれもなんだかなぁと。

それくらい無理やり辞めたので1年半以上デビューまで時間かかったのかもしれないですが、
柴崎さんが辞めた経緯がこれまで語られていたものと違っていたりもするので他にも事情がありそうです。

3期が始動して『WANDS BEST』が出た日にわざわざ新聞広告出してal.ni.coの結成発表したのはわざとぶつけにいっているようにも見えますが…3期が始動するまで先に動かないでくれみたいな条件もあったんでしょうかね。

YASU◆1195a8 / 2021-12-06 12:25:57 No.6179
個人的にWANDS脱退=ビーイングとの契約終了だと思っていましたが、WANDS BESTのライナーノーツでは
「1997年の初頭に脱退」と載っていたので、上杉さんがWANDSを抜けると宣言したのは1996年6月で、実際にビーイングとの契約が終了したのは1997年初頭だったのかなと思います。
その約半年間に上杉さんとK氏が話し合いをしたり、柴崎さんを説得したりしていたのかもしれませんし、alnico始動までに時間がかかったのも契約の問題かもしれませんが、柴崎さんの脱退日は後付けだったのかなと思ってしまいます。
ビーイング側としては契約終了時期=WANDS脱退時期と捉えていれば、無理矢理会報を出していたのもわかるような気がします。
確かalnicoがレコード店に配布したというリーフレット(新聞紙に載ったのと同じような内容だったようですが)はビーイングからクレームが入り回収になったという話を聞いたことがありますし、alnicoのミズノのタイアップを第3期WANDSに取られたりと関係は悪化していたように思ったので、柴崎さんがすんなりとWANDSに戻ったのには当初驚きました。

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