TOKIOはGS
メークイン◆88b8b9 / 2022-07-10 06:46:31 No.6283
昨日NHK-FM「アニソンアカデミー」に都志見隆さんが出ていました。
『忍者戦隊カクレンジャー』でトゥー・チー・チェン名義で歌っていた事と、他のアニソン関連の楽曲を手掛けていることからの出演です。
その中でTOKIOの初期2作「LOVE YOU ONLY」「明日の君を守りたい~YAMATO2520~」が都志見さん作曲でアニソン作品のため、曲がかかりました。
この際に、「TOKIOのデビューから何枚かずっとやってたんですけれど、グループサウンズのサウンドにしようと思って、昔ていえば(ザ・)タイガース。コーラスを含めたサウンドにしようと思って…」と発言していました。

目から鱗でした。
昔掲示板上で、「SMAPの初期は時代についていけずに古臭い展開をしていた。TOKIOは自ら敢えて古臭くやっていた」と書いたことがありましたが、裏付けられました。
この事を踏まえて曲を聞いてみると、「明日の君を守りたい」の頭の部分のコーラスワークは、グループサウンズそのものですね。
「うわさのキッス」のイェイイェイイェイは、GS風味そのまんまというレベルです。
都志見さんは6th「好きさ~Ticket To Love~」まで関わっていますので、同系統のサウンドを展開し続けていたのも理解できます。

ただし、この楽曲系統はジャニーさんの指示なのだろうか?
94年デビューなので、この時期少しだけ昭和回顧の流れがありましたが主流にはなりませんでした。
打ち込みからアコースティックサウンドへの一時的な戻りはありましたが、それでも当時は70年代フォークソングが限界で、60年代後半GSは古すぎます。
(今振り返れば、たかだか25年くらいで四半世紀レベルなのですけれど)

MOMA@管理者 / 2022-07-10 11:41:45 No.6284
C/Wで加山雄三ばりの台詞が入ってくるような曲もあったし、狙ってはいたんでしょうけど何故そこを狙った?という謎は謎のままですね。

初期(『Best E.P Selection of TOKIO』まで)はプロデューサーとして表記されていたのはShun Miyazumi(宮住俊介)という方でディレクターも兼任していたので作曲だけの都志見隆さんよりも方向性を明確に指揮していたんじゃないかと思います。

TOKIOというよりソニーとの専属契約だったみたいですが、メリーさんが亡くなった際にTOKIOのプロデュースをやってた頃が一番強烈に覚えていると書いています。ツアーの音楽監督もやっていて、メリーさんとのやり取りもあったようですがジャニーさんはそんなでもなかったのかもしれません。

http://blog.livedoor.jp/woodymiyazumi...

メークイン◆88b8b9 / 2022-07-10 16:25:05 No.6287
宮住俊介さんという方を知らなかったので調べてみると、元々はアルファレコードでプロデューサーをされていた方のようです。
その後何故か(Blogでも本人も書いてますが)ソニーに気に入られて、ソニーの仕事を専任していく形になったようです。
昔ながらのレコード会社のプロデューサーという立ち位置の方のようですね。
(現在の○○プロデュースという謳い文句のプロデューサーとは、少し違うのかなと)

他に指示する人が上に居て、宮住さんが音源部分をまとめていた感じかなと読み取りました。
なので、宮住さんがTOKIOをGSの方向性に持っていくということはまずないと思いました。

また宮住さんはソニーと専属契約を結んでいたのは、90年代のなかで5年間と書かれています。
専属契約終了でTOKIOプロデュースも終了になったのかなと思いました。
http://blog.livedoor.jp/woodymiyazumi...

AI◆7e640c / 2022-07-10 21:47:03 No.6288
 ジャニーズ何気に時代に沿わないことが多いですね・・・

 「忍者」は美空ひばりさんの曲を現代風にアレンジ。
 初期の「SMAP」もアイドル氷河期に王道アイドル系で伸び悩み「$10」辺りからシンガーソングライターを使い出す(次の「君色想い」はアイドル系だが)
 「嵐」にしても、ポニーキャニオン時代はアイドル色の高い曲が多い。
 「NYC」に至っても紅白のメドレーで「青い山脈」を歌うのだから何気に近年までその流れは根強く残っていた。(「Hey!Say!JUMP」も「上を向いて歩こう」を披露していた)

「TOKIO」もあの当時、CDが今ひとつ他のグループと違い伸び悩み気味だったのは、この点はあったのかも・・・
(しかし、当時のプロデューサーはまだ「昔の曲」を意識したモノが多い。ZARDの「Good bye My Lonliness」も「涙くんさよなら」から採ったものと言われている)

感激Rock / 2022-07-11 02:49:40 No.6289
そういえば少年隊も紅白で服部克久メドレーなんてやってましたね(もともと持ち歌としてデビュー前から「三味線ブギ」とか歌ってましたが紅白でそれかよと・・・)。

私、ずいぶん昔にここの確かTOKIOのベストアルバムのスレッドに「初期TOKIOはタイガースみたい」と書いたのですが、その通りだったのですね。
コーラス(ユニゾン)の感じもそうですし、初期の長瀬君の甘い歌い方はタイガース時代の沢田研二そっくりです。
あと、タイガースの代表曲は「君だけに愛を」つまり「LOVE YOU ONLY」、そして何より沢田研二のヒット曲がまさに「TOKIO」。これは意識してそうですね。

メークイン◆88b8b9 / 2022-07-11 23:13:07 No.6290
>「君だけに愛を」つまり「LOVE YOU ONLY」
これは気づきませんでした。
GS路線でデビューさせるのですから、明らかに匂わせで狙ったタイトルですね。

KinKi KidsもCDデビュー前の1993年に、笠木シヅ子「たよりにしてまっせ」(1956)のカバーでしたね。
今年CDデビュー25周年で色々な場所で本人達が話していますが、「なんで?」と隠さずに話してますね。

振り返ってみると…
忍者(1990)が美空ひばりカバー3連発でリリースごとに売り上げ半減の大撃沈
SMAP(1991)が80年代アイドル路線で売り出しセールスは一向に伸びず、林田健司の楽曲でブレイクするまで2年かかる。
TOKIO(1994)はGS路線で売り出し、1st3rdはヒットしたものの他は尻すぼみ、細かな路線変更を何度も繰り返し、週間チャート首位まで7年かかる。
V6(1995)はavex預かり状態のユーロビート路線。初期コンセプトでは1年期間限定グループ。
デビュー直後からブレイク(2ndからチャート首位)したため、解散せずに継続。

94年はSMAPが大ブレイクした年でもあります。
この段階で古臭い回顧路線を捨てて、現代に寄り添う選択をしたのかなと思います。
(V6のユーロビート路線だけが、この後のジャニーズグループの路線からも浮いてます)
しかし、TOKIOは路線変更には間に合わず、古臭い回顧路線を継続する事になったのかなと思っています。

MOMA@管理者 / 2022-07-12 08:56:34 No.6291
TOKIOは『Best E.P Selection of TOKIO』の後に路線変更して「フラれて元気」がヒットしたのに何故か今更Hiromasa Kakizaki(男闘呼組の提供時代プロデューサー)と作家陣を再集結させて『WILD&MILD』を作ったと思ったら今度は曲ごとに体制を変えて取っ散らかり(『Graffiti』の時期はシングルは佐久間正英なのにアルバムで採用せずに自作プロデュースやらせたり海外からStevie Salas呼んだり)、『Yesterday&Today』のProject Tでようやくストレートにロックバンド路線へ…と思ったらつんくプロデュース2発でソニー時代が終了します。

ソニー時代は最後までブレブレだったので、古すぎて根本的にダメだろという方向性はともかくとしてGS路線を任された宮住さんはプロデューサーとしてそれなりにまとめられていた、とは言えるかもです。

AI◆7e640c / 2022-07-12 12:14:47 No.6292
 「LOVE YOU ONLY」は当時あまり売れないと言われていた「ベタなアイドルソング」に加えて、GS系と来れば「売れない」という感じになってしまいますね・・・

 94年9月にデビューして、11月に早くも1stアルバム。最高位8位20万と少々低め。
 次のアルバムが4ヶ月後のRemix 最高位9位7.2万 そこから更に4ヶ月後に2ndアルバム。最高位4位だが13.9万と言う低さ・・・当時はシングル3枚くらいが定番であったが、シングル1枚のみ(4thシングル未収録) その次が8ヶ月後の3rdアルバム11.6万(シングル3枚収録されたが、最新シングルは見送られた) 
 (シングル500円CD「好きさ」も16.9万と、お買い得感のある500円CDでもそこまで伸びなかった)
その約5ヶ月後のBEST盤が10.5万とBESTの効果が無い・・・(Remixが多かったのが嫌われたのか?)
 あれだけ、懐メロっぽさを意識しながら、BESTではRemixと言う真逆の戦略。

 次の「WILD MIND」はヒットシングル「フラれて元気」が収録された(Remix)8.8万と10万割れ。次のオリジナルは4.9万・・・

 アルバムリリースの仕方が、「あまりシングル曲を入れない」という昔っぽさがあった(90年代当時はシングル3曲くらい入ってお得感を出すのが比較的多かったと思う)

「SMAP」のように路線変更してアイドル系から、NYのエンジニアに任せるとか、「V6」のようなダンスサウンドになるとか、90年代の売れ線になることは無く、昔のままのやり方であまり売れないというのは、「売れなくても敢えてそのようなやり方を貫いた」のか?それとも「売れるだろう」と思ってやっていたのか?

感激Rock / 2022-07-14 09:20:33 No.6293
KinKiがオールド歌謡曲路線て言われて成功してましたけど、先輩方の失敗から学んだ苦労の賜物だったんですね。
ようやく行き着いたというか。
しかし90年代ジャニーズは古め路線好きだったんですかね。

AI◆7e640c / 2022-07-14 12:27:44 No.6294
 「Kinki Kids」の場合は、万全の体制でしたね。デビューシングルもサウンドプロデューサーは山下達郎さんで「ミリオンになる曲を・・・」という注文が入ったようで・・・
 当時の流行りの曲では、そこそこ売れても「確実にミリオン」となると、「硝子の少年」のようなタイプだったのだろうな・・・と思います。
 2nd以降も恐らく「ミリオンになる曲」というのはほぼ注文時からあったのかな?と思います。作家陣も伊達歩(伊集院静)さんとか、吉田拓郎さんとか・・・とにかシングルBESTが出るまでは「ミリオン」クラスにこだわってそう・・・

 90年代ジャニーズは既に「外部に任せた方が売れる」という感じな印象・・・
 その後も、ジャニーズ独特の売り方は時代にはついて行けていなかった・・・
 (中山優馬さんのソロにしても、Sexy Zoneにしても)

「TOKIO」は98年のアルバム「Graffiti」で4.9万と言う数字は微妙過ぎた・・・
次の10万を超えたのは、意外にも04年カバーアルバム「TOK10」が17.5万が好評
06年の「Harvest」(この時は既に複数売り)が12.7万(「宙船」が収録されている)くらい。

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