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ヴェンデッダ 〜氷炎の宴〜 4
K−クリスタル
/
2014-01-18 19:12:00
「覚悟してもらおう。残りはお前ひとりだ」
アレクの宣告に男は悔しげに唇をかんだが、すぐ顔を上げた。
「確かに・・・こうなってはもう、逃げられもせんだろう」
だが、その時、少女の声が割って入った。
「待って、お兄さん。その人の相手はあたしにやらせて」
「エステル」
振り返ったアレクは一瞬考え込んだが、相手の顔を見てうなずいた。
「いいだろう。だが、しくじるなよ」
「アレク」
ファデットが驚いたように声を上げたが、アレクは落ち着いていた。
「もともと、あいつの仕事だからな。最後ぐらいやらせよう」
「さあ、じゃあ、あたしが相手よ。覚悟してよね。あなたには恨みがあるんだから」
前に進み出たエステルの言葉に、相手の男はやや表情を動かした。
(そうか、珍しくやる気だと思ったら、初めにだまされて跡をつけられたのはあの男だったのか)
納得のいったアレクの傍らにファデットが近づいてきた。
「アレク、本当に大丈夫なの? 相手の人はけがをしたとはいっても、エステルさん一人で・・・」
「ああ、心配いらない」
ファデットの心配はもっともだが、アレクもただ傍観しているわけではない。
すでにして?亡霊暴君(ファントム・タイラント)?が再び起動していた。標的の範囲が絞られた二度目には、主に相手のいる地面より上の空間の熱を集めることで、その気配も悟らせることなく、しかし、巨竜はひそかにもう存在したのだ。他の者には見えない。いや、アレク自身にも実際に目に見えるわけではないが、言わば、体感している。そのアレクの感覚によれば、目の前には体を低くねじ曲げ大口を開けて今しも敵の男に食らいつこうとする肉食竜の巨体があった・・・あくまでイメージだが、ほとんど現実の感覚と変わらない。こうした実感のようなものまで感じるようになって、アレクの扱う熱量は格段に跳ね上がったのだった。
見ていて、エステルが危ないとアレクが判断したその途端、敵の男は肉体の何割かと生命を同時に失うことになる。しかも、その際、近くにいるエステルに火傷一つ負わせることもない。せいぜいが見えない巨竜の熱い吐息を感じるくらいだ。つまり、何が起こったとしても、エステルを傷つけたり、敵を逃したりする気遣いはまずないのだ。
だが、それもすべて万一の時のことだ。アレクがファデットに大丈夫だと言った第一の根拠はそれではなかった。
エステルは左手を水平に近く前へ伸ばしている。その手からは何条かのワイヤーが下に垂れ、揺れていた。そして、胸元に引きつけて構えられた右手には細身のナイフが握られている。
対して、敵の男は残った右手一本で顔の前にサーベルを立てて構えた。治癒の力でもあったのか、左肩の傷口は完全にふさがってこそいないものの、出血はもはやほとんどない。
男は油断なくエステルへ向けた意識を切らせないながらも、ちらりとこちらを見た。
(何を考えているか、だいたい分かるな・・・)
アレクは考えをめぐらせる。
(俺からは逃げられない。もう助かるすべはないと一度は覚悟を決めたはずだが、こうなって、一縷の望みを抱いた。うまくすれば、助かるかもしれないと。そう、エステルを人質に取ることさえできれば、俺の動きも封じられる。・・・奴には?暴君(タイラント)?の状態は分からないから、そういう考えになるのはむしろ当然。だが――)
「ファデェ。あの男もだが、たぶん、君もまだよく分かってない・・・」
「え?」
「エステルってやつを」
その時、男の方から仕掛けた。地を蹴り、猛然とエステルに向かう。エステルも迎え撃つように駆け出し、間合いを詰めたところで左手を振り、走る勢いを乗せて、ワイヤーを前へと飛ばした。
男は避けることもせず、そのまま真っ向から突っ込んできた。ただ走ったまま目の前でサーベルをめまぐるしく振り回す。ワイヤーは結局一本も届かなかった。はね返されたのではない。空中でいくつにも寸断され、ばらばらと地面に落ちたのだった。
(まったくいい腕してる・・・剣同士じゃ、俺なら絶対やりたくない相手だな)
それも、たった今片腕一本喪いながら、である。仮に痛みや出血を抑えられたにせよ、体バランスは崩れて、今までと同じ身のこなしなどとてもすぐにはできないのが普通だが、見る限り、そう動きが悪くなったとも思われない。実戦の中で叩かれ、鍛え抜かれたしぶとさがあった。
(?暴君(タイラント)?の牙から即死を免れたことといい、奴らの中じゃ、総合的にはこの男がいちばん強かったのかもしれん・・・)
少なくとも、その踏んできた戦いの場数はエステルはおろか、アレクすらも凌ぐほどのものなのだろう。だが、それでも・・・。
一度も止まるどころか脚を緩めることすらなかった男はすでにエステルの間近に達していた。エステルの右手の中のものが閃く。しかし、きぃん――高い金属音を立てて、そのナイフは宙高く舞っていた。男の一振りではじき飛ばされてしまったのだ。
そのまま返す刀で斬り殺すことも可能な間合いでタイミングだった。だが、それはない。人質にするのなら、殺すわけにはいかないのだから。
そこまでも、エステルの計算通りのはずだ。相手が殺す気で攻撃できない以上、そこに隙が生じる。しかし、芝居で逃げて見せたあの男は実力を隠していて、本当ならエステルのような小娘など相手ではないと思っているのだろう。だから、そのぐらいの余裕を持てる気でいるかもしれない。が、あいにく力のすべてを見せなかったのは、エステルの方も同じなのだ。今もなすすべなく接近されてしまったように見えるが、実は、エステルの方からすれば、労せずして相手の懐の内に入り込むことができたとも言えるのだった。
男はエステルの方に向き直った。叩き伏せるか、あるいは脚でも切り裂くか、いずれにせよ、エステルの自由を奪うべく、近づこうとする。
だが、その足が思わず止まる――異様な、信じられないものを眼にして。
目の前の相手が笑っていたのだ。もはや、武器もなく、抵抗するすべを持たぬまでに追いつめた無力なはずの少女が笑っている・・・!
それもただの微笑ではない。顔立ちこそ整っているが、まだ子どもとしか思えなかったたかだか15、6歳のこの少女が今、成熟した一人前の女性にも滅多に見られないほどの、?妖艶?と呼ぶしかないような一種凄絶なまでの蠱惑の表情を浮かべていた。
ぞくりとした。不気味さへの恐れだけではない。それとは別に、男としての欲望を抗しがたく喚び興される感覚も確かにあった。それを自覚すると、また新たな恐怖を感じる。
――自分の方が誘き寄せられていた・・・。いまだ確たる理由もないまま、ほとんど確信する。
それはたとえて言えば、甘い蜜の香りに誘われて、知らず自ら食虫植物の奥深く入り込んでしまった虫にでもなったかのような感覚・・・。
そのとき、つい、と少女の方から近づいてきた。だが、とっさに何の反応もできない。
おそらくは百戦錬磨と言っていいであろうこの男が戦いでこうまで気を呑まれ、我を失うなどということがあるとしたら、まず、先ほどのアレクのような敵の圧倒的な力を見せつけられたときぐらいしかなかっただろう。だが、それとはまったく次元の異なる衝撃が今この男を縛っていた。経験豊富な戦士であるからこそ、目の当たりにしているものの、戦いの場でおよそ予想だにしない異様さはより対応不能であったのだ。
そんな動けず目も離せないでいる男に、少女――エステルがあることをした。それは、その凄艶な表情にはまったく違和感はないが、戦場という場にあっては、およそこれほど不釣り合いなものははないことだった。
半身で少し肩を上げて相手に向かってしなを作り、片目をつぶって、唇に押し当てた手の指を響く音と共に離す。
見事なまでに魅惑的な投げキッス。
だが、それを受けた男の反応は悩殺どころではなかった。一瞬で開けていられなくなった目から涙を流し、激しく咳き込み、自ら喉を激しくかきむしる。投げキッスで、少女の唇から目に見えないほど細かい毒の粉が飛ばされ、それが目に入り、また吸い込んでしまったのだ。もはやなすすべもない。ついに膝をつき、その場にうずくまる。
その後ろに静かにエステルが立った。
「シャローム、ヘル」
そして、相手のむき出しの後頭部――延髄めがけて、最後まで手の中に隠し持っていた小さなナイフを女らしい優雅な手つきで狙い過たず突き立てる。男はそのまま声もなく前のめりに倒れ、動かなくなった。
「すごい・・・」
隣でファデットが息を呑むのが伝わった。
「言ったろ、心配ないって――あれがエステルだ」
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アレクの宣告に男は悔しげに唇をかんだが、すぐ顔を上げた。
「確かに・・・こうなってはもう、逃げられもせんだろう」
だが、その時、少女の声が割って入った。
「待って、お兄さん。その人の相手はあたしにやらせて」
「エステル」
振り返ったアレクは一瞬考え込んだが、相手の顔を見てうなずいた。
「いいだろう。だが、しくじるなよ」
「アレク」
ファデットが驚いたように声を上げたが、アレクは落ち着いていた。
「もともと、あいつの仕事だからな。最後ぐらいやらせよう」
「さあ、じゃあ、あたしが相手よ。覚悟してよね。あなたには恨みがあるんだから」
前に進み出たエステルの言葉に、相手の男はやや表情を動かした。
(そうか、珍しくやる気だと思ったら、初めにだまされて跡をつけられたのはあの男だったのか)
納得のいったアレクの傍らにファデットが近づいてきた。
「アレク、本当に大丈夫なの? 相手の人はけがをしたとはいっても、エステルさん一人で・・・」
「ああ、心配いらない」
ファデットの心配はもっともだが、アレクもただ傍観しているわけではない。
すでにして?亡霊暴君(ファントム・タイラント)?が再び起動していた。標的の範囲が絞られた二度目には、主に相手のいる地面より上の空間の熱を集めることで、その気配も悟らせることなく、しかし、巨竜はひそかにもう存在したのだ。他の者には見えない。いや、アレク自身にも実際に目に見えるわけではないが、言わば、体感している。そのアレクの感覚によれば、目の前には体を低くねじ曲げ大口を開けて今しも敵の男に食らいつこうとする肉食竜の巨体があった・・・あくまでイメージだが、ほとんど現実の感覚と変わらない。こうした実感のようなものまで感じるようになって、アレクの扱う熱量は格段に跳ね上がったのだった。
見ていて、エステルが危ないとアレクが判断したその途端、敵の男は肉体の何割かと生命を同時に失うことになる。しかも、その際、近くにいるエステルに火傷一つ負わせることもない。せいぜいが見えない巨竜の熱い吐息を感じるくらいだ。つまり、何が起こったとしても、エステルを傷つけたり、敵を逃したりする気遣いはまずないのだ。
だが、それもすべて万一の時のことだ。アレクがファデットに大丈夫だと言った第一の根拠はそれではなかった。
エステルは左手を水平に近く前へ伸ばしている。その手からは何条かのワイヤーが下に垂れ、揺れていた。そして、胸元に引きつけて構えられた右手には細身のナイフが握られている。
対して、敵の男は残った右手一本で顔の前にサーベルを立てて構えた。治癒の力でもあったのか、左肩の傷口は完全にふさがってこそいないものの、出血はもはやほとんどない。
男は油断なくエステルへ向けた意識を切らせないながらも、ちらりとこちらを見た。
(何を考えているか、だいたい分かるな・・・)
アレクは考えをめぐらせる。
(俺からは逃げられない。もう助かるすべはないと一度は覚悟を決めたはずだが、こうなって、一縷の望みを抱いた。うまくすれば、助かるかもしれないと。そう、エステルを人質に取ることさえできれば、俺の動きも封じられる。・・・奴には?暴君(タイラント)?の状態は分からないから、そういう考えになるのはむしろ当然。だが――)
「ファデェ。あの男もだが、たぶん、君もまだよく分かってない・・・」
「え?」
「エステルってやつを」
その時、男の方から仕掛けた。地を蹴り、猛然とエステルに向かう。エステルも迎え撃つように駆け出し、間合いを詰めたところで左手を振り、走る勢いを乗せて、ワイヤーを前へと飛ばした。
男は避けることもせず、そのまま真っ向から突っ込んできた。ただ走ったまま目の前でサーベルをめまぐるしく振り回す。ワイヤーは結局一本も届かなかった。はね返されたのではない。空中でいくつにも寸断され、ばらばらと地面に落ちたのだった。
(まったくいい腕してる・・・剣同士じゃ、俺なら絶対やりたくない相手だな)
それも、たった今片腕一本喪いながら、である。仮に痛みや出血を抑えられたにせよ、体バランスは崩れて、今までと同じ身のこなしなどとてもすぐにはできないのが普通だが、見る限り、そう動きが悪くなったとも思われない。実戦の中で叩かれ、鍛え抜かれたしぶとさがあった。
(?暴君(タイラント)?の牙から即死を免れたことといい、奴らの中じゃ、総合的にはこの男がいちばん強かったのかもしれん・・・)
少なくとも、その踏んできた戦いの場数はエステルはおろか、アレクすらも凌ぐほどのものなのだろう。だが、それでも・・・。
一度も止まるどころか脚を緩めることすらなかった男はすでにエステルの間近に達していた。エステルの右手の中のものが閃く。しかし、きぃん――高い金属音を立てて、そのナイフは宙高く舞っていた。男の一振りではじき飛ばされてしまったのだ。
そのまま返す刀で斬り殺すことも可能な間合いでタイミングだった。だが、それはない。人質にするのなら、殺すわけにはいかないのだから。
そこまでも、エステルの計算通りのはずだ。相手が殺す気で攻撃できない以上、そこに隙が生じる。しかし、芝居で逃げて見せたあの男は実力を隠していて、本当ならエステルのような小娘など相手ではないと思っているのだろう。だから、そのぐらいの余裕を持てる気でいるかもしれない。が、あいにく力のすべてを見せなかったのは、エステルの方も同じなのだ。今もなすすべなく接近されてしまったように見えるが、実は、エステルの方からすれば、労せずして相手の懐の内に入り込むことができたとも言えるのだった。
男はエステルの方に向き直った。叩き伏せるか、あるいは脚でも切り裂くか、いずれにせよ、エステルの自由を奪うべく、近づこうとする。
だが、その足が思わず止まる――異様な、信じられないものを眼にして。
目の前の相手が笑っていたのだ。もはや、武器もなく、抵抗するすべを持たぬまでに追いつめた無力なはずの少女が笑っている・・・!
それもただの微笑ではない。顔立ちこそ整っているが、まだ子どもとしか思えなかったたかだか15、6歳のこの少女が今、成熟した一人前の女性にも滅多に見られないほどの、?妖艶?と呼ぶしかないような一種凄絶なまでの蠱惑の表情を浮かべていた。
ぞくりとした。不気味さへの恐れだけではない。それとは別に、男としての欲望を抗しがたく喚び興される感覚も確かにあった。それを自覚すると、また新たな恐怖を感じる。
――自分の方が誘き寄せられていた・・・。いまだ確たる理由もないまま、ほとんど確信する。
それはたとえて言えば、甘い蜜の香りに誘われて、知らず自ら食虫植物の奥深く入り込んでしまった虫にでもなったかのような感覚・・・。
そのとき、つい、と少女の方から近づいてきた。だが、とっさに何の反応もできない。
おそらくは百戦錬磨と言っていいであろうこの男が戦いでこうまで気を呑まれ、我を失うなどということがあるとしたら、まず、先ほどのアレクのような敵の圧倒的な力を見せつけられたときぐらいしかなかっただろう。だが、それとはまったく次元の異なる衝撃が今この男を縛っていた。経験豊富な戦士であるからこそ、目の当たりにしているものの、戦いの場でおよそ予想だにしない異様さはより対応不能であったのだ。
そんな動けず目も離せないでいる男に、少女――エステルがあることをした。それは、その凄艶な表情にはまったく違和感はないが、戦場という場にあっては、およそこれほど不釣り合いなものははないことだった。
半身で少し肩を上げて相手に向かってしなを作り、片目をつぶって、唇に押し当てた手の指を響く音と共に離す。
見事なまでに魅惑的な投げキッス。
だが、それを受けた男の反応は悩殺どころではなかった。一瞬で開けていられなくなった目から涙を流し、激しく咳き込み、自ら喉を激しくかきむしる。投げキッスで、少女の唇から目に見えないほど細かい毒の粉が飛ばされ、それが目に入り、また吸い込んでしまったのだ。もはやなすすべもない。ついに膝をつき、その場にうずくまる。
その後ろに静かにエステルが立った。
「シャローム、ヘル」
そして、相手のむき出しの後頭部――延髄めがけて、最後まで手の中に隠し持っていた小さなナイフを女らしい優雅な手つきで狙い過たず突き立てる。男はそのまま声もなく前のめりに倒れ、動かなくなった。
「すごい・・・」
隣でファデットが息を呑むのが伝わった。
「言ったろ、心配ないって――あれがエステルだ」