2018年春~6月期映画スレ
たさくらたすな / 2018-03-17 23:40:00 No.406
 東映系の劇場版製作スケジュールが例年と異なってるのもあり、いささか寂しいのもありますが、その分流れとしては春~6月期あたりまでの映画感想いけるかな?ということでスレ立てしておきます。


『ウルトラマンジード つなぐぜ! 願い!!』

 作品的には本編終了後の外伝的なラインで新旧顔わせで先輩側が後輩側の力量や信念を認めて認め合う戦隊VS系と、本編終了後の流れからの主人公の成長要素や本編未回収の要素やその後を補完するアフターストーリーに先輩が駆けつけるライダーのmovie大戦系のいいとこ取りの映画といった感じです、この辺は全てのシリーズ作品に関わってる坂本監督ならではといったところですかね。

 出だしはどこかの宇宙の惑星クシアで作られた人工知能ギルバリスが文明に反旗を翻して惑星を攻撃してるところを、今映画のヒロインの娘アイル(愛瑠)にオライオン……じゃなくてアイルの父親がギルバリスを停止させるカギともいうべき『赤き鋼』を託して惑星がデータ化されるところをなんとか逃げ出して、そしてジードの宇宙の太古の地球の沖縄あたりにたどり着いた過去の経緯から始まります。この際地球に来たアイルを出迎えたのがキング……じゃなくてグクルシーサーという星獣なり護国獣だったりなポジション的な怪獣、沖縄が舞台ということと人工知能が本体ながらメカな怪獣がメインとあって作品の枠を超えてメカゴジラのキングシーサーのオマージュもあるのかなキュウレンネタならシーザーもありかと思うけどこの怪獣見せ場としては後々微妙だったかなぁ、予告動画にはでてこないから自分にしたらサプライズ枠の怪獣ではあったけど。

 場面かわって現代、リク達ジードの宇宙に『赤き鋼』をさがしやってきたジャグラーとギャラクトロンMK2(以下GMK2)が来るところから始まりジードが相手をするもちょい戦闘を繰り広げたらGMK2はすぐ撤退という序盤。はじめての宇宙にもウルトラマンがいたということで情報精査のために退却といったとこかな?そこからMIB施設にあえて情報提供に現れたジャグラーが通信画面越しにジードにも手伝えって言う形でジード組にジャグラーが合流、手伝えといったときにペガが小声で「ペガも?」いったのが地味でツボでした。そこからジャグラーがこの地球の太平風土記の存在を示唆して『赤き鋼』の伝承を調べるようにと助言。平行宇宙の描き方がこういったアイテム物にも応用されるのは便利だなと、もしかしたらティガ、ガイア、コスモスに出てきた鬼退治の景竜とか太平風土記を編纂した人物とか平行宇宙の過去の出来事について地味にどこかで補完された話があるなら面白いかもと思ったりも。

 さて、太平風土記から得た情報を元に沖縄に移動、テレビ本編の時と違って今回はダイナミックに星雲荘ごと飛んで移動と空撮による沖縄の情景が印象的でした、そしたらば出張のレイトさんがおりまして、そのレイトさんの進言で沖縄の伝承に詳しい地球人として暮らしてるアイルと引き合わせると、ここで物語の主要人物が揃います。ここレイトさんにあった時のジャグラーのホモホモしいやりとりはネットの感想なんかをみると賛否がわかれるとこみたいですね、自分はジャグラーの変態っぷりが引き立たされてる良演出かとは思いましたが。あとアイルを観たジャグラーはひと目で地球人ではないことに気づいた反応をみせます、個人的にアマプラ限定のオーブ外伝に出ているジャグラーが闇堕ちするきっかけの役者さんと同一のキャストを使えてたらここでひと目みた反応が違う意味で面白い物になってたかもとか思ったけど。
 でもって沖縄の伝承など紹介がてら各地をまわりつつなところでは一歩ひいた立ち位置のジャグラーの存在感が微妙な意味で印象的。そして『赤き鋼』らしきものが祭ってある史跡のところで再度GMK2が出現と、ここはグクルシーサーを呼び出しGMK2を撤退させます。改めて見るとグクルシーサーの造形は前足の手の部分が踵のある後ろ足と同一の作りをしており従来よくみられるウルトラ四本足怪獣などとは違ういわゆる前足ドロップキック的なアクションが印象に残りました。
 改めてアイルはリクに石化した『赤き鋼』を手渡そうとするけど、何の変化もみせないことで序盤からこの世界で一人ウルトラマンとして活動してきて気張りすぎ出てるリクにさらなる焦りを追加する流れといった感じに。さり気なくギガバトルナイザー共々ついになるアイテムとして惑星クシアで作られたということが説明されたけど通常ののバトルナイザーとかはどうなんだろうって疑問点が追加。

 この後情報屋を探し求めるべく不法滞在の宇宙人がたむろしている酒場に向かいます、なんとなく沖縄という立地条件もあってか違和感なくそういう場所もあるのかといった風情でした。ここで素行不良の宇宙人に絡まれ坂本監督お約束の生身アクションタイム^^。
 ライハやゼナさんがメインどころだったけどペガも頑張りをみせてくれてたりジャグラーと組んでのゼロ無し状態でのレイトさんもダンスアクションを決めてみせてくれてました。そしてここでお決まりのメロディを引っさげて登場したのがオーブことガイさん、風来坊ということだけあって設定を破綻させずに自然な流れで合流を決めて、颯爽と決めるラムネ呑みアクションもナイスでした。戦闘が一息ついた後の自己紹介でリクの方がウルトラマンとして後輩だから『さん』付けするかどうかで軽く悩むのが味があっていいなぁと、いつかはガイさんが『さん』付けしないウルトラマンが増える日もくるのかと思うと感慨深いかも。
 ガイさんが加わって情報屋にいったらばそこには平行世界の限定的な場所でタロウさんの声に似た人物のこれまたそっくりの情報屋が!ここも地味に坂本監督の趣味の延長がみれました(笑)でも情報屋って500円単位で情報教えてくれるものなのかなってツッコミはさておき、ここは思い切って石丸さんに吹き替えネタでいれるのもありかなって言うくらいライハとの絡みもグッドでした。

 どうやって情報を得ていたかは知らないけど情報屋からギリバリスに関する情報を得た後でガイから肩の力を抜くように助言を受けるリクついでに風呂屋と風呂あがりのラムネもおすすめされるところでギリバレスも行動を開始。地球をバリアで覆い地球上の人たちを一気にデータ化しようとするところで、別宇宙からウルティメイトフォースゼロが駆けつけますがバリアが完全に張られるギリギリのところで突っ込めたのはゼロのみで他のメンツはせっかく出れたのにここで足止めという展開がちょっと残念、一応登場序盤に別宇宙でギャラクトロンを個別撃破してるシーンはありましたが。

 ジード・オーブの変身はウルトマンの同時リードから始まる特別カットといった風合いでおおっと思いました。それぞれのテレビ最終話に続き伝説の変身シーンとして語りついでよい名シーンかと。そしてジード・オーブにゼロが加わってのGMK2との戦闘は坂本監督い約束のその2のフォームチェンジラッシュ。プリミティブとサンダーブレスターで「そっくり?!」「気にするな」が地味に好きなやりとり、またソリッドバーニングとはロボ的デザインてことでライトニングアタッカーがチョイス。同じ炎属性のバーンマイトはウルトラホーン繋がりでマグニフィセントとの組み合わせで添えてくれてました。ただスピード系は無難に青みが強いハリスラとアクスマにルナミラクルで揃えていたかな。ただ相手がGMK2一体だけでしかもやたらと硬いためか決定打を与えられずに最強フォームをここで使い潰した展開にも賛否が分かれてるようですね。

 確かにジード最強ロイメガで攻撃を仕掛けるもデータ化ウィルス攻撃で一旦ジード捕縛はちと残念なシーンかなとは思うけど、そこからのオーブ最強トリニティでXのサイバーゴモラアーマーの能力で救出に使ったのは意外な使い方かなとXのサイバーウルトラマンの力をちゃんと使えるのねと感心でした。
 しかしそれでもデータ化される人たちを守れなかったという焦りが止まらない血気にはやるジードを庇う形でオーブとゼロが犠牲にという流れ、実際にはここでゼロ最強のシャイニングの時間操作が発動することで難を逃れてはいたというのがこれまた真相だったけどある意味使い方が難しいシャイニングをここで使用しておいたのはゼロ無双にしないための配慮としてはありだったかなと思います、後々ビヨンド再登場に繋げる意味でも。
 そしてベリアル的というか赤い目の興奮状態のレッキングバーストでGMK2をゼロ距離突進で倒すも結果としてガイさんの助言を活かせなかったことを痛感してへたれると。ここまでのリクは過剰に気を張ってるキャラ付けが目立ちすぎてるけどテレビ本編と映画との間にそうならざるを得なかったエピソードが一本あると説得力がますかなぁと思いました。と掲示板に長いと言われたのでここで一旦区切り。

たさくらたすな / 2018-03-17 23:42:00 No.407
 気落ちしたリクを見計らうようにギルバリスがここで最終決戦よろしく大量のギャラクトロン軍団を投入さすがにMK2は1体だけだったよう、でも不甲斐なさモードから抜け出せないリクを尻目にジャグラーがアイルのペンダントの力で巨大化、ダークリングをロストした現状なんらかの力をつかわないと巨大化を果たせないみたいだけどある意味戦隊系の怪人に近い感じなのかなジャグラーさん、そしてグクルシーサーも時間稼ぎ的に戦う中で人間サイズの刺客としてアンドロイド兵も襲ってくる展開にライハらが対峙、モアもアクション向きな服装でないけどヒザ蹴り等応戦して坂本監督らしらをみせてました。しかしながらアイルがギャラクトロンの攻撃をうけ死の間際に改めてリクを勇気づけて『赤き鋼』を授けてついにギガファイナライザーとして覚醒。さらに一般人属性で奮戦していたレイトさんにもシャイニングの力で逃げ延びていたゼロと再び融合ゼロビヨンドに変身、いっしょに退避していたオーブも加わっての最終バトル。

 それぞれがギャラクトロン個別撃破のところでジャグラーさんは離脱、正義ってめんどくせーみたいな感じの憎まれ口たたいてましたが、実際は巨大化制限に関しては無理やりブーストしてるためかウルトラマン以上に制限がきつそうですね。そしてオーブ・ゼロ・ジードらがギルバリスの本体のいるデータ化空間に改めて突入、ここのシーンはなんとなくゴーバスターズの研究所ごと吸い込まれて廃墟化した空間の残る敵本拠地といった雰囲気をおもいだしたりも。本体が人間の制御から離れたAIというところでも似た物同士ですが。

 さて武装化して怪獣態になったギルバリス、GMK2もそうだけど3人のウルトラマンと基本対峙する形で単独の印象としてはテレビ本編だとカリスマを発揮していたベリアルや愚直さを貫いたフクイデ・ケイと比較するといまいちかなぁと、まぁギャラクトロンがオーブに出てきた時点で知的生命体どころかそれを生み出す自然環境ごとリセットという思想は提示していたし、パワーアップしたMK2にしろ大本のギルバリスにしろその根本が変わるわけじゃないのとデザイン的に同一のシステムによるメカ怪獣ということで意匠的にも共通部分が大きすぎるのも他の劇場版の怪獣の組み合わせと比べたりやウルトラマン側がバリエーションに飛んでただけに見栄えに新鮮味を感じなかったかなと。微妙に地味に感じたのは最後に剥き出しのコアになったところでウルティメイトファイナルの大技できめたのもあっさりした最後だったかな怪獣態で派手にやっつけられる所が観たかったかなと、ジードはセブン50周年時の作品でもあるから、もしかしたら円盤とかに最後のトドメをさすセブンのワイドショットオマージュかなとも勘ぐれなくはないけど。

 このタイミングでゼロの動きを察知したウルティメイトフォースゼロの待機組も外からバリアに最大攻撃をしかけるけど、ギルバリスを倒したあとにバリア解除にもみえたので功を奏したのかどうか、あえてどちらとも取れる演出を狙ったのかなぁとも思うけど、ラスボスを倒した後にこういった流れも小さいとはモヤモヤ感を残すのでもう少しすっきりした演出でもよかったかなぁと。

 別宇宙の来訪者組が別れを告げていくところでジャンボットとリクのやりとりのリクの「ジャンファイト」が最後にそのサービスもってくるかといった感じですね、別の場所で二人ガイとジャグラーの別れは相変わらずな感じ、またどこかの宇宙で二人であうことがあればといったノリ。
 最後は太平風土記の表記が書き換えられ精霊と化したかのようなアイルの姿が、元より地球にたどり着いた段階でデータ化の余波を受けてはいて既に半霊半人の精霊に近い状態だったりとかで単純な意味で死亡したわけじゃないんだよと強引に解釈してみたり。

 他不満点があるとしたら久しぶりに出演を果たしたウルティメイトフォースゼロのメンツが最終決戦で蚊帳の外に置いて行かれてたので、たとえばバリアに突入しようとするところをギャラクトロンの別働隊が邪魔をしかけてきたので他のメンツがそれを引き受けてゼロだけ地球に突入、あとは月あたりとかも使って個別に戦闘シーンを描くような工夫はできなかったのかなとかは思います、バリア突入から最終バトルまでやや時間はあるけどその間多少多めのギャラクトロンを倒していたとかでもできないかな、バリアの外にギャラクトロン多く展開させるのも変ではあるかもだけど。あとUFZを派遣させる経緯でもM78宇宙がわでもギャラクトロンが邪魔をしていてそっちで戦力を割いてるから出せないみたいな理由付けとあわせて、そこでの戦闘シーンもタロウの回想シーン意外に描いてたら良かったかなと(バトルシーンの追加要求が多くなるけど坂本監督作品だけに仕方ないかなぁ)

 あと新怪獣のグクルシーサー、役どころとして今ひとつかなぁ太平風土記をだしてくるなら、もう少し伝承にからめるよな描き方も出来たかなと思うけど、なんか唐突に出てきただけな感じの存在でした。
 楽しみな点というか思うところはシーン全体がところどころ飛び飛びに感じたのでディレクターズカット版が期待したいかな、時間的にバトルとドラマパートで70分はやっぱり短すぎかなと、密度としてはかなり濃く感じた70分ではあったけど。

White NOVA / 2018-03-19 02:17:00 No.408
たささん、スレ立て含め、いろいろとありがとうございます。

というのも、実は、自分、今日の日曜日に友人とジードの映画を見てきたのですが、途中で気付かずに寝ちゃってたんですね。
具体的には、アイルとの出会いのシーンまでは意識があって、『赤い鋼』をジャグラーが触れて、自分には使えない、また、このパターンかよ、と文句を言った辺りまでは覚えていて、
その後、GMK2(表現、お借りします)が出現したと思ったら、その辺で意識が途切れたらしく、気が付けば、ジードがオーブと共闘して、すぐにゼロが駆けつけ、いや、宇宙から飛びつけてきて、3人のウルトラマン共闘という最初のクライマックスバトル。

鑑賞中は、あれ、ジードとオーブ?
ええと、GMK2とジードが交戦して、そこにガイさんが助っ人登場したのかな?
ちょっと見逃したのは残念だけど、まあ、今はいいか。アクション楽しもう、と。
そこから後は、普通に全部見ましたし、例えばこれがクライマックス戦闘の前に寝入っちゃって、気がつけば映画が終わってた、というのではなく、まあ、ウルトラVS怪獣の見せ場は見れたからいいかな、と解釈。

その後、連れと夕食を食べながら、映画の感想回。
その他、いろいろ雑談楽しんだり、ヤマトのDVDを2巻まで返却、続きを借りたり、こちらは返礼にスペーススクワッドを貸してたものを返してもらって、スーパーガールを貸しながら、深夜のフラッシュが面白いので是非見たらいい、とか、次のアベンジャーズもご一緒に、とか、その他、『レディ・プレイヤー・ワン』の啓蒙したり、スパロボ談義したり、

とまあ、NOVAがほんの6時間ぐらい前に、連れと何の話をしたかは、どうでもよくて、ええと、連れとの感想会話から、自分が映画のどういうシーンを見逃していたか、を一応補完してもらって、その場は納得。
「これが一人で映画見ていて、寝ちゃったら補完できなかったけど、今回は相方がいて、見逃したものをフォローいただいて良かった」とか、「まあ、来年の今頃は、ジードのクロニクルか何かで、今回の映画の分割再放送もやるだろうから、見失った部分は来年に補完すればいいから、特にDVDをチェックする必要はないかな」とか言って、お開きにして、ここに帰って来てみたら、

あ、たささんが映画感想、書いてくださってる。
結構、詳細なストーリーあらすじ感想で(長文感謝)、何というか、NOVAが本日見逃した部分の補完がここにも、と、何だか落とし物をして困っていたら、親切な人がそれを拾っていて、届けに来てくれたような喜びを感じた次第。
求めずして、ちょうど欲しいと思っていたものが、絶妙なタイミングで手渡されたような、よっしゃラッキー感。
やっぱ、共通の趣味を持つネット仲間っていいなあ、と、いや、まあ、リアル連れもいいのですが、とにかく花粉症で涙腺もろくなっているので、感じる喜びもひとしおって、ところです。

ちょっと本日は疲れているので、細かいところはまたじっくり読ませてもらいますが、自分の現時点の感想としては、大きく2点ですね。

1つ「ジャグラーが映画の前作よりも出番が多く、ガイさんより目立ってた。いや、自分がガイさんの出演シーンをあれこれ見逃してた上での感想だから、ガイさんも結構出てたのだろうけど、今回はジャグラーが序盤から出ずっぱりで、ますますジャグラーのことが好きになりました」

今のぼくの頭の中では、ジャグラーとげんとくんが支配の座をかけて、頂上決戦しています。勝った方の人格にNOVAが支配される……って、流石にそれは嫌だなあ。
NOVAは二人の活躍とかシリアスコメディアンっぷりを見て楽しみたいのであって、自分が二人になりたいわけじゃない。芝居は見たいが、自分が演じるのとは違うってことで。

2つ「最後に、ジャンボットがナオ、いや、リクに声掛けしたのが良かった。もう、このシーン、子役だった濱田君の成長した姿とか、過去の姿とか(ついでに海賊戦隊のマーベラスの子供時代とか)、リアルタイムでいろいろ見てきた自分としても、大拍手な場面でした。そして、坂本監督にとっても、濱田君は自分の作品で子役から育ててきた俳優だし、自分も坂本監督と同世代なので、勝手に自分が育てたような気持ちで共感したりしながら、いろいろ懐かしい気分にも駆られたり」

春は、ライダー映画も例年はあって、ぼくと連れの間では、「ウルトラはいつ見ても満足度が高い」「ライダーや戦隊の春は当たり外れの差が非常に大きい」というのが共通見解でして、
ウルトラの映画観賞では、あそこが良かった、問題点は特になし、という満足感で終わるのに対し、まあ、春ライダーはいろいろと微妙な展開の時に、あそこは何でああいう流れにしたんだろうね、とか、せめてあのシーンがああだったらな、とか、ここで剛を殺すのはいくら何でもなあ、とか、まあ、ツッコミ続出したこともあった。
剛の葬式遺影なんて、性質の悪いギャグにしか見えなかった、とか。

ともあれ、また後日、ここでのたささんの感想書き込みをじっくり読んで、自分の中でも何かがつながったことがあれば、他の感想も付け加えたいと思います。今夜はこれにて。

White NOVA / 2018-03-21 22:57:00 No.409
某所で、たささんが「ウルトラマンレオにこだわりがある」旨、おっしゃっていたので、こちらで話題を引き取ってみようと思います。
いや、向こうで書いてもいいのですが、向こうであまりウルトラ話を展開して来なかったことと、それから向こうだと本筋が逸れそうになるのを防ぐため、という理由で、ここがいいかな、と考えた次第。

さて、たささんがお怒りになった「レオが差別されている」件。
10年前ならいざ知らず、ゼロ初登場の2009年以降、そんなアホな発言をするとは、その人の時間はそこから針が進んでいないのか、少なくともウルトラについては語る資格が一切ないぐらいの無知さを覚えました。
いや、我々より年上で、そもそもウルトラに関心がない人間なら分かるんですよ。でも、その人は我々よりも若く、本来なら柔軟に考えるべきはずの人物が、アンチエイジングができていないような硬直性、偏狭性を露骨に示し、新たな知識も(しかも、若きエースのゼロがレオの弟子として一線で活躍しているなんて、ウルトラファンにとって常識の範疇なのに)仕入れようとせず、自分の思い込みだけで論述(と言えるほどのものでもなさそうだけど)の対象にしようとは、物が見えていない、何というか哀れみすら覚えます。創作家なんて、絶えず頭を柔らかくしようとか、アイデアのために情報を仕入れようとしているものなのに、それを目指していると公言していた人物が、そんな様じゃ、はあ、とため息を漏らすばかりです。

そこで、口直しと言っては何ですが、ぼくなりの「レオ論」を残して、先日の映画感想&補完の御礼にさせてもらいます。

ぼくは物心ついたときにレオが終わっていたので、最初のウルトラは、再放送の『帰ってきたウルトラマン』(通称・新マン)なんですが、そこから始まる第2期ウルトラは、一時期、Q、初代マンとセブンの第1期を見て育った世代からのバッシングを受けるんですね。ええと、世代にすると、第1期が60年代後半で、第2期が70年代前半、まあ、ジョーニアスや80の第3期は、70年代末から80年代初め、となるわけですが、総じてウルトラシリーズは、東映の資本力を背景にしたライダーや戦隊に比べて、あまり長期シリーズを連続放送しにくく(円谷さんの企業体力の問題)、もって3年から4年を続けてみて、途中インターバルをはさみながら、コンスタントに、とは言わないまでも、何とかシリーズを継続して来られた。
今こそ、TV放送は安定しているものの、半年分の新作と、半年分の再放送、再編集版と、春の映画とでうまく興味を継続させている形。その分、製作ペースに余裕があるからか、作品の質は比較的高く、ブレが少ないと感じております。

で、レオの立ち位置ですが、この10年の間は、愛弟子ゼロの大活躍もあって、時代劇で例えるなら「ウルトラ幕府の公職役人でこそないが、隠居した先代将軍キングの後ろ盾も得た格闘師範道場の有名な道場主」 なお、レオ自身、「ウルトラ剣術アイスラッガー流の筆頭指南セブン殿の直々の手ほどきを受けた弟子」で、ええと、レオが宇宙警備隊(そのトップエリートであるウルトラ兄弟)から差別待遇を受けていると捉えるのは、「公務員以外の民間職業は国から疎外されている」というに等しい暴論だという認識ですね。
まあ、確かに、レオ兄弟とウルトラ兄弟がウルトラキーを巡って、激突したことはありますが、それって地球でも40年以上前の話で、とっくに遺恨は晴れた問題です。何せ、問題の元凶であったババルウ星人だって、同胞の過去の悪行を許されて、ヒーローとして描かれるようになった時代です。
過去に争った事実だけをもって、40年経った今も、差別を受けているなどとは、どのような時間感覚を持っているのか。

物語内の背景はこれぐらいにして、第2期ウルトラの不遇は、これは確かに一時期あって、その空気が変わり始めるのは、自分の観測範囲では90年代に流行した謎本の一種で、第2期ウルトラ(および80)の評価を再検証する本が出版されていたのですが、やはり第2期で育ったファンが書き手として影響力を発揮できる時代になるまで、扱いが不遇だった時期があるのは間違いありません。
80年代のウルトラ界の評論では、書き手が主にマン・セブン世代であるため、路線が変わった第2期を酷評する向きが多くありました。とりわけ、最盛期を越えて下り坂に入ったタロウや、シリーズを一時的に終了させたレオ辺りが、戦犯として酷評されるケースも。
その点、新マンはシリーズ中興の祖的に持ち上げられることも多く、近未来SFファンタジーのウルトラを、同時代性とファミリードラマの要素(ウルトラマンに変身する青年が、普段は防衛チームの一員のみならず、民間の家族に関わって、レギュラー少年を薫陶しながら自身も一人の人間として成長する人間ドラマ)を持ち込むことで、質を変化させたために、違う作風に変えてしまった、という意見が、賛否両論どちらも含めて定着。まあ、時代の空気がそういうのを求めていた、というのが、その時に始まった『仮面ライダー』との比較対照で、検討することも可能でしょうね。

White NOVA / 2018-03-22 00:22:00 No.410
続きとなります。

以下、レオまで第2期ウルトラの概略をまとめると、
新マンは、ウルトラ復活のトピックから始まり、神ならぬ人間ウルトラ路線の開拓、ウルトラ兄弟の初披露、防衛隊のワンダバBGMや、ウルトラ登場→ピンチ曲→優勢曲への転換に見られる戦闘シーンの安定パターン化、ブレスレットを活用した手持ち武器の使用など、後のウルトラシリーズの定番要素をいろいろと構築しました。
続くエースは、新マンで試みられたウルトラ兄弟をさらに発展させたウルトラファミリー路線の継続(まずは父の登場)、ヤプールという異次元人と、メカ怪獣、改造怪獣と言うべき超獣、そして男女合体という新機軸と華やかな光学合成の数々、指輪で変身というオシャレさとか、それまでのウルトラでは曖昧に描かれた善悪二元概念の強調、などが特徴でしょうか。
割と、泥臭いスポ根路線の新マンに比べて、エースは女性も合体するという初期設定から、色々と輝かしい色彩感覚に満ちたシリーズという印象。で、一見、光っているんだけど、中身のドラマはギスギスしているのも多く、やはり光と闇の対立劇をウルトラ世界に持ち込んだのは、エースなんでしょう。

続くタロウは、それまでのシリーズの集大成という評価で、とにかく何もかも派手。OPすら、それまでのシルエット路線から、防衛基地から発進するメカたちという動きのあるカラー映像に変えちゃった。主題歌も、最初からいきなりヒーロー名を叫び、もう明瞭ヒーロー路線であることは明らか。
ファミリーには母を登場させ、必殺技名を叫び、物語のトーンはSF色よりは昔話、民話の方向性。日本の民話が目立つけど、アラビアンナイトとか、巨大生物に飲み込まれて、そこからの脱出とか、キノコ食べてキノコ人間になっちゃうとか、世界が大量の蛾によって覆い尽くされて闇に閉ざされ、それを解放するために光をもたらすクリスタルのベルを手に入れるためのクエストなんて、SFじゃなくて荒唐無稽なファンタジーとか、妖怪路線とか、とにかく今の子供たちが普通にゲームで受け入れそうな物語を描いたのがタロウワールドですね。
正直、タロウは集大成ではあるけど、BGMが冬木さんじゃなくなり、ウルトラファミリー設定は受け継いだけど、それまでのウルトラの方向性とは大きく異なる異色作でもあったりします。そうなった理由は、当時、同時期に放送されたファイヤーマンやジャンボーグAといった非ウルトラヒーローが、BGMを含む従来のウルトラの伝統を引き継ぎながら新路線を開拓しようとし、一方でタロウは大黒柱として、とことん子供たちを標的とした明瞭快活路線の冒険ファンタジーを描いてみせた、と。
地味だけどリアルなSF作品を見たい人は、ファイヤーマンを見てね。
ウルトラマンAを受け継いだ善悪の派手な対決劇、それにメカギミックを見たい人は、ジャンボーグAを見てね。
従来の路線を受け継ぐウルトラ亜流作品が脇で作られたからこそ、タロウは大黒柱として位置づけられながら、伝統を覆す世界観を作り上げていった。

そして、レオです。
タロウが上述の路線、「集大成のように見せかけて、実は相当の異色作だった」ことに比べると(しかも、変身者の光太郎さんは従来のように星に帰ったりせず、気ままな冒険の旅に出てっちゃった。父親を失った傷心の少年に、ウルトラの力に頼ることなく自立しろ、と言い残して。今の観点だと、なかなか酷い賛否両論ありそうな終わらせ方にも思える。まあ、南の光太郎さんは、両親失った少年少女をきちんと後まで面倒みたんだろうか、と不意に気になりつつ)、
レオの方は、きちんと第2期ウルトラ路線の模範作になっており、さらには第1期からセブンという要素を引き継ぎ、暗躍する侵略宇宙人から人々を守る若きヒーローの活躍を描いた作品になっています。
決定的な特徴は、やはり格闘路線ですね。肉体派の超絶武闘家が、師匠の厳しい修行を経て、強敵に打ち勝つなんて、これで宇宙人の最強を決めるトーナメント路線に転換すれば、80年代ジャンプ黄金時代のノリですよ。レオは、10年早かったのかも。
まあ、スポ根路線は新マンの踏襲と考えることもできて、いわばレオという作品自体の根底には、「セブンと新マンのエッセンスが詰まっている」ということになります。
ただ、序盤に前編後編の二本立てを連発したのは、仮面ライダーV3同様、「強さを強調したいのに、子供たちの目には弱く映ってしまうヒーロー」になってしまいます。前編で一度苦戦してから、後編で成長しての逆転劇。これは、一気に見ると、尺を割いている分、1話完結よりも物語密度が高くなり、映画同様のハラハラドキドキの大作感を伴います。うん、いつでも録画分を見れる今の時代なら、そういうのは傑作と評されるんだ。
作り手としては、「前後編の話には、過去においても傑作エピソードが多い。そういうのを最初から続けて見られたら、子供たちはさぞかし喜ぶことだろう」という青写真があったのかもしれません。事実、セブンにおけるキングジョー回、ガッツ星人回、最終回はいずれも傑作ですよ。新マンでは、ナックル星人とブラックキングの回が最終回以上に盛り上がる白眉でしょう。エースやタロウも、1話では終わらない連続エピソード回は、ウルトラ兄弟が絶体絶命のピンチに陥るイベント色も濃くて、傑作と称して申し分ないでしょうね。
問題は、そういうのはある程度、ヒーローの強さが安定して、いわば物語がパターン化して、子供たちが飽きてきた辺りに、お祭り回として投入するからこそ、「いつも勝ってるヒーローがピンチになって続いた。次は絶対に見逃さないようにしないと」と盛り上がるわけで、最初から1話完結じゃないものを見せられても、子供たちのワクワクは高まりません。
新番組が始まって、興味を惹かれて見てみたら、いきなりピンチのままで続く主人公。まあ、始まったばかりだから仕方ない。次、見よっと。そして、後編見て満足。
問題は、次の第3話。また、ピンチのまま続く主人公。こいつ、本当に大丈夫? 前のヒーローの方が強かったんじゃないの? ええと、この辺は子供心理ですが、自分が見ているものが強くないと、ハマってくれないんです。だからこそ、ヒーローは強さを強調しますし、雑誌を読んでもヒーローのスペックを紹介しながら、「今度のヒーローは先輩よりもここが凄い」と持ち上げます。決して、「今度のヒーローは最初は弱いけど、師匠に鍛えられて少しずつ強くなっていくんだ。みんな、見放さずに、末永くよろしく頼む」と消極的な宣伝をしたりはしません。
「弱いけれども一生懸命頑張っているから好き」とか「勝っている時は調子に乗るけど、すぐに負けてどん底まで落ちて、そこから這い上がるアップダウンの激しいげんとくんが、ぼくは好きです」というような子供は、まずいません(一部の、少年の心を持った大人は除く)。いや、いたら、「何てこった、こいつは伝説級の子供になるぜ」と大いに称えますけど。

レオの魅力は、何よりもその成長性の高さだと思いますが、新マンが特訓で1話で解決したところを、あまりにもじっくり丁寧に描いてしまい、序盤はそういうエピソードだらけだったので、まあ、子供たちには弱いヒーローと映ってしまった。それが悲劇の始まりなんだ、と思います。

第1話で、ピンチのセブンを救いに颯爽と登場したレオは、強く格好良かった。その方向性でずっと描いてくれれば、「あのセブンを倒した強敵にレオは勝った。レオ最強!」と、子供たちのハートはがっちりつかまれたことでしょう。実際、レオのアクションは力強く演出されていて、「一度負けて、敗北から不死鳥のように立ち上がって、逆転勝利をつかむレオ」の勇姿は雄々しく立派です。それが本当に毎回見られたら、良かったのですが。例えば、マジンガーZなら、そういうのを毎回見せてくれたのですが。
「負けて、そこからの逆転勝利」はOK。でも、それは1話の中で描かないといけなかった。「負けて続く。次の回を楽しみに」というのは、楽しみを先送りにされるのと一緒で、毎回の満足感が大いに損なわれます。ましてや、ビデオもない時代、続きが確実に見られる保証なんて、TVのチャンネル権を親に握られていた子供たちには、なかったのですから。
まあ、こういう「ドラマ性は高いけど、当時の子供たちの視聴事情を考慮に入れなかった番組作りは、視聴率激減という形で、スタッフを直撃した」ようです。マーケットリサーチも十分でなかった時代、そこから試行錯誤のテコ入れ作戦、路線変更に次ぐ変更がレオという番組を見舞います。その辺のレオの迷走ぶりは、レオファンなら、ぼくが語るまでもないでしょう。

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