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2013秋の雑談スレ
White NOVA
/
2013-09-29 16:47:00
No.237
秋は、特に映画を見る予定もなく、スパロボ三昧な現状ですが、一応、書き込みあった際に対応しやすくするための新スレです。
実は、前の「夏の映画スレ」で、多砂さんが「GATCHAMANの映画感想」書いてくれたのに、気付くのが遅れてました(m0m)。
陳謝しつつ、こちらで改めてレスをば。
>ストーリ展開的には健とジョーそれとギャラクターになってしまった想い人による三角関係がメインで劇場版ギャバン的な地球の危機につまるところは内輪もめ的な面はシナリオ的に小さくまとまってしまってる部分かなぁとは感じます。
こういうアクション物って、「恋愛がフレーバー的なものであって、ストーリー進行を邪魔するものでない」方が個人的には望ましいんですけどね。
「戦友という絆から発展する恋愛感情」には共感できますが、「恋愛とか、三角関係がこじれて戦士としての使命に支障をきたす」というのは、プライベートと、パブリックの切り分けができないプロたり得ない素人に見えてきます。
まあ、新ギャバンの場合は、素人がプロの宇宙刑事として一皮むけるための成長物語だから、私情と任務の間で悩むという構成にも納得なんですけど。
今回のガッチャマンの場合は、「幼い頃から訓練を受けてきた」という設定があるので、任務よりも私情を優先するのは、どうもなあ、という気も。
設定として面白いのは、健とジョーよりも、「ストリートチルドレンだった15歳の時にスカウトされた、みみずくの竜」の方かな。組織の非情さを描くなら、「外部から来た者と、内部で育った者の価値観の違い」という形で見せた方が効果的で、「内部で育った者どうしの感情の衝突」が前面に出てくると、科学忍者隊という組織そのものに疑問符が灯りますね。
おまけに、組織の非情さを前面に押し出すストーリーなら、日常生活は平和でのどかな暮らしを満喫しているのが妥当ですが、映画では、「侵略者によって、壊滅に瀕した世界」が舞台で、科学忍者隊は「レジスタンスの旗頭」。
いわば、「レイズナー第2部」とか、「北斗の拳」とか、「ターミネーター4」とか、文明が崩壊して危機が日常の世界にあって、「恋心を前面に押し出したキャラ設定」は、違和感を伴うな、と。
>健や甚平のスーツ以外が全体的に暗い色合い(ジュンのスーツも原作のピンクと白からダークバイオレットに変更)
あのスーツを予告編で見たときから、「ああ、これは自分が見たいガッチャマンじゃないな」と思ったり。
原作ガッチャマンは、重い設定と若者ヒーローとしてのビジュアル面も含む明るさ、派手さのバランスが良かったのですが、その明るさの部分を捨ててしまえば、「大人向き」と言えるのかどうか。
あ、念のため、見た人に確認したいですけど、最初は暗いスーツだったのが、ドラマチックな展開を経て、塗装がはげて、「白いガッチャマン」として覚醒されるようなことはあるでしょうか?
そういうことであれば、暗いスーツにも物語的な意味が生まれてくる、と思います。覚醒して色が変わる、というのは、ビジュアル的に美味しいですし。
そうでなければ、暗い色のスーツに愛着は湧かないだろうな、と。
おまけに、設定マニアとしては、「ガッチャマンはG1号、大鷲の健の呼称」であって、「チーム名ではない」(だから、他の戦隊シリーズの「○○マン」と違って、複数だからガッチャメンだろう、というツッコミは成り立たない)という主張があるわけですが、
本作では、そういう原作の基本設定を分かってない人が、脚本書いたんだろうな、と考えたり。
今さらながら、「戦うトレンディドラマ(死語)」をやりたければ、「ジェットマン」みたいに「真面目な内部の戦士」と「外部からスカウトされた民間人」の軋轢、対立と相互理解という前例があるわけだから、
そういう「描きたいドラマ」に合わせた設定を構築して欲しい、と望んでみる。
ともあれ、作品見ていないのに、下手な批評するのは本意ではないので、これぐらいにしておきましょう。
PS:国際的な作品にするなら、「コンドルのジョー」は日系イタリア人という設定があるので、そういう俳優でも良かったんじゃないかな。
殿に対して、スパイダーオルフェノクだと、いまいちジョーの方が格下に見えてきて、原作のジョーの持つ「真面目なリーダーに反抗的な熱い無頼漢」とは噛み合わないし。
任務に忠実な健と、任務よりも復讐心を優先しがちなジョーのお約束な対立(および、それをなだめるムードメーカーな竜たち)が原作の色だけど、そこに恋愛感情を混ぜると、対立軸がブレるとも。
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多砂
/
2013-10-01 00:31:00
No.238
> NOVAさん
>>あ、念のため、見た人に確認したいですけど、最初は暗いスーツだったのが、
>>ドラマチックな展開を経て、塗装がはげて、「白いガッチャマン」として覚醒されるようなことはあるでしょうか?
そういった演出は残念ながら無かったです、むしろ本編前の小ネタのおはようガッチャマンがオリジナルスーツを踏襲していたので上映時間におけるビジュアルの変化だけなら明るいスーツから暗いスーツの変化ですかね。
書き忘れてましたが今回のスーツはラボのようなところで着替えてから出撃するアギトのG3とかあるいはジャッカーの強化カプセル方式な面もスーツを着こまない隠密作戦行動中から一度基地に帰還しないとガッチャマンになれないのもテンポを悪くしてる要因かなとも、「バード・ゴー!」の掛け声による変身があったなら事前に変装用の暗めのスーツから戦闘にさいして明るい色の戦闘用スーツという流れもあったかもですね。
制作現場サイドの発言から判断するに最初は全員暗いスーツにしたかったんじゃないかなという気がしますね、そこをタツノコサイドがG一号だけは明るくしてくれみたいなやりとりがあったとも勘ぐる部分もあります。
この辺りの考え方は服だけでなく世界観含めて現場サイドがリアル追求型のミリタリー指向なのか割り切ったヒーロー指向なのかでもかわるのもあるのかな。
まぁミリタリー指向な面が強い平成ガメラ三部作とかでもレギオンなどで科学館学芸員のヒロインと自衛官とのやりとりに恋愛的な面をやんわりと匂わせる程度でストーリーを濁らすことなくその交流からレギオン攻略の道筋を描いてる良作もあるので描き方次第によってはとも思いますが、ガッチャマンの場合はリアルで重い世界観のわりには人間関係立ち位置ふくめちぐはぐな面がでたのかなとも。
>>設定として面白いのは、健とジョーよりも、「ストリートチルドレンだった15歳の時にスカウトされた、みみずくの竜」の方かな。
>>組織の非情さを描くなら、「外部から来た者と、内部で育った者の価値観の違い」という形で見せた方が効果的で、
敵の罠にかかって液体窒素付けになりそうになった甚平を任務優先で見捨てた健に、後から甚平救護を優先した竜が健に仲間を見捨てるのかと咎めるシーンはあるにはあったんですが、ここのシーンにあわせて竜や姉妹設定になってるジュンと甚平の過去のスカウト経緯と健とジョーの三角関係が絡まって一番詰め込み感のあおりをうけたシーンになってますね、で出撃後の後半のバトルシーンで庇い庇われの戦いでなんとなしにみな和解、バトル終了後はゴッドフェニックスの中でボロボロになった姿で「こいつら最高のチームだぜ」の流れなのでもう少し丁寧な描き方が欲しかったですね。
役者の顔立ちによる国際感覚でいうと、ちょうど坂本監督の009ノ1の雑誌スチールをみたらメイクと照明の使い方もあるのかな?ハリケンブルーさんでもそれなりにミレーヌって名前でも違和感なかったのがあります、ただ事務所の広告代理店の意向が強い作品だと元の役者の顔が認識出来るようなメイクと照明の使い方になってしまうのだろうとも。
あと大作指向が強すぎて一流のスタッフを集めようとして監督。脚本・特撮やアクションの現場でそれぞれは実績あっても普段からチームとして動いてないのもあるのかな、前半のアクションシーンが良かったのもここだけCGパート担当の白組が気を吐いた結果やも。
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White NOVA
/
2013-10-03 00:46:00
No.239
多砂さん、レスサンクスです。
昨日、ホビー誌や特撮雑誌をチェックしましたが、どうもガッチャマンは、そういう雑誌でもほとんど触れられてこなかった感じですね(玩具やフィギュアなどのグッズ展開がなかったからかも)。
シンケンレッドが主役なんだから、もっとプッシュされても……とは思ったんだけど、制作陣がそういうマニアックな色が付くのを避けたのかな。インタビューとかに乗ってこなかったのかもしれません。
正直、誰をメインターゲットにしたかが分からない作品という印象があります。
昔のガッチャマンファンの懐古熱を煽ったにしては、デザインも設定も変えすぎですし、
新規のファンの開拓にしても、ガッチャマンというコンテンツに飛びつく若者がどれだけいるか。仮に20代の若者をターゲットにする場合、彼らにとっての懐かしヒーローって、今から20年前、つまり90年代の作品になるわけで、たとえば「るろうに剣心」だったら当たり、と。
それと、どうも、子供向きヒーローを大人向きに作ろうとブラッシュアップした場合、「ウルトラマン ネクサス」にしても、「真・仮面ライダー」にしても、「仮面ライダーTHE FIRST」にしても、あまり主流にならないまま終わってしまう感じですね。
タツノコだと、「ヤッターマン」という前例がありましたが、あれはTVアニメとの連動もあって、割と好評という印象。やはり、昔のものを復活させるなら、映像表現的にブラッシュアップさせるのはいいとして、根本的な設定や人間関係をイジるのはマズいのかな、と。
一方で、深夜アニメの「ガッチャマン クラウズ」は、名前以外は全然別物の作品だったみたいですね。
「テッカマン」と「テッカマンブレード」みたいなものか。
あるいは「ダンガイオー」と「Gダンガイオー」とか。
「クラウズ」も見てなかったけど、その時代の「ポップでおしゃれな若者ヒーロー」って感覚だと、実は70年代当時のガッチャマンの精神に通じるものがあるかも(旧作ガッチャマンは、私生活は軽い若者感覚で、変身すると潜入工作のプロになる二重生活。それが80年代になると、キャッツアイとか)
>そういった演出は残念ながら無かったです、むしろ本編前の小ネタのおはようガッチャマンがオリジナルスーツを踏襲していたので上映時間におけるビジュアルの変化だけなら明るいスーツから暗いスーツの変化ですかね。
なるほど、「サナギマンからイナズマン」みたいなサプライズはない、と。
仮に「潜入時はダークなスーツ」だけど、「戦闘時にはエネルギーを高めて、ライトなカラーリングにチャージアップ」する仕様でもあったなら、それだけでも見たいですけどね。
>リアルで重い世界観のわりには人間関係立ち位置ふくめちぐはぐな面
作り手としては「等身大の若者」を描いたつもりかもしれませんが、世界観が等身大の若者と異なるわけだから、背景と登場人物が噛み合ってない?
まあ、ミリタリーなら、ストイックなキャラと、プロ感覚めいたものが欲しいかな。物語に恋愛要素が強すぎると、ミリタリーじゃなくなる感じ。
PS:で、これだけ批判していると、「ブーメラン」みたいな感覚があって、自分の書いてるラーリオスはどうやねん? 的に思えてきたり。そろそろ、今の章の続きを書いて、ケリをつけないと。
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実は、前の「夏の映画スレ」で、多砂さんが「GATCHAMANの映画感想」書いてくれたのに、気付くのが遅れてました(m0m)。
陳謝しつつ、こちらで改めてレスをば。
>ストーリ展開的には健とジョーそれとギャラクターになってしまった想い人による三角関係がメインで劇場版ギャバン的な地球の危機につまるところは内輪もめ的な面はシナリオ的に小さくまとまってしまってる部分かなぁとは感じます。
こういうアクション物って、「恋愛がフレーバー的なものであって、ストーリー進行を邪魔するものでない」方が個人的には望ましいんですけどね。
「戦友という絆から発展する恋愛感情」には共感できますが、「恋愛とか、三角関係がこじれて戦士としての使命に支障をきたす」というのは、プライベートと、パブリックの切り分けができないプロたり得ない素人に見えてきます。
まあ、新ギャバンの場合は、素人がプロの宇宙刑事として一皮むけるための成長物語だから、私情と任務の間で悩むという構成にも納得なんですけど。
今回のガッチャマンの場合は、「幼い頃から訓練を受けてきた」という設定があるので、任務よりも私情を優先するのは、どうもなあ、という気も。
設定として面白いのは、健とジョーよりも、「ストリートチルドレンだった15歳の時にスカウトされた、みみずくの竜」の方かな。組織の非情さを描くなら、「外部から来た者と、内部で育った者の価値観の違い」という形で見せた方が効果的で、「内部で育った者どうしの感情の衝突」が前面に出てくると、科学忍者隊という組織そのものに疑問符が灯りますね。
おまけに、組織の非情さを前面に押し出すストーリーなら、日常生活は平和でのどかな暮らしを満喫しているのが妥当ですが、映画では、「侵略者によって、壊滅に瀕した世界」が舞台で、科学忍者隊は「レジスタンスの旗頭」。
いわば、「レイズナー第2部」とか、「北斗の拳」とか、「ターミネーター4」とか、文明が崩壊して危機が日常の世界にあって、「恋心を前面に押し出したキャラ設定」は、違和感を伴うな、と。
>健や甚平のスーツ以外が全体的に暗い色合い(ジュンのスーツも原作のピンクと白からダークバイオレットに変更)
あのスーツを予告編で見たときから、「ああ、これは自分が見たいガッチャマンじゃないな」と思ったり。
原作ガッチャマンは、重い設定と若者ヒーローとしてのビジュアル面も含む明るさ、派手さのバランスが良かったのですが、その明るさの部分を捨ててしまえば、「大人向き」と言えるのかどうか。
あ、念のため、見た人に確認したいですけど、最初は暗いスーツだったのが、ドラマチックな展開を経て、塗装がはげて、「白いガッチャマン」として覚醒されるようなことはあるでしょうか?
そういうことであれば、暗いスーツにも物語的な意味が生まれてくる、と思います。覚醒して色が変わる、というのは、ビジュアル的に美味しいですし。
そうでなければ、暗い色のスーツに愛着は湧かないだろうな、と。
おまけに、設定マニアとしては、「ガッチャマンはG1号、大鷲の健の呼称」であって、「チーム名ではない」(だから、他の戦隊シリーズの「○○マン」と違って、複数だからガッチャメンだろう、というツッコミは成り立たない)という主張があるわけですが、
本作では、そういう原作の基本設定を分かってない人が、脚本書いたんだろうな、と考えたり。
今さらながら、「戦うトレンディドラマ(死語)」をやりたければ、「ジェットマン」みたいに「真面目な内部の戦士」と「外部からスカウトされた民間人」の軋轢、対立と相互理解という前例があるわけだから、
そういう「描きたいドラマ」に合わせた設定を構築して欲しい、と望んでみる。
ともあれ、作品見ていないのに、下手な批評するのは本意ではないので、これぐらいにしておきましょう。
PS:国際的な作品にするなら、「コンドルのジョー」は日系イタリア人という設定があるので、そういう俳優でも良かったんじゃないかな。
殿に対して、スパイダーオルフェノクだと、いまいちジョーの方が格下に見えてきて、原作のジョーの持つ「真面目なリーダーに反抗的な熱い無頼漢」とは噛み合わないし。
任務に忠実な健と、任務よりも復讐心を優先しがちなジョーのお約束な対立(および、それをなだめるムードメーカーな竜たち)が原作の色だけど、そこに恋愛感情を混ぜると、対立軸がブレるとも。