滝行について
Shiny NOVA / 2021-10-20 06:11:56 No.570
 別スレにて、こちらの宗教を名目に、「自分の要求に応じることが修行に通じるメリットだ」とトンチンカンな(狂ったとも思える)書き込みをされたので、あまりの無知に閉口した次第。

 滝行は(うちの宗派には関係ないが)、改めて調べてみると、密教や神道、修験道で行われ、日本古来の禊祓いや山岳仏教に由来するもの。その目的は自然の中の神仏に心身を委ね、身の穢れを祓い、心の悩みを洗い流し、浄化することらしい。
 しかし、件の人物は「自分と冬に野宿して抱き合って眠る」(いい加減に気持ち悪い言い分で、穢らわしいとさえ思う)ことが、いずれ滝行を行う上での予行演習になるかも、とふざけたことを抜かしたわけで。

 こちらは、いい年したおじさんに「寂しいから自分と一晩抱き合ってください」って言われている時点で、穢らわしいし、気持ち悪いし、そんなの無理、と悲鳴を上げたいぐらいの感情を抑えて、「そういうバカな要求は封印する」ことを前提に、掲示板の真っ当な客人と管理人として付かず離れずの程々の付き合いなら許容してもいい、という話だったし、
 それが破られたなら、許容できなくなるのは必然なんだがな。

 で、滝行云々を言うなら、「冬に野宿」と「冷たい滝」をイメージでつなげたんだろうが、「男と抱き合って眠る」という妄執じみた穢れを捨て切れていない時点で、穢れを払う滝行の目的とは逆行しているので、何の予行演習にもならないという理屈。
 仮に自分が滝行を肯定する宗派の人間だとしても、それは禊祓い、穢れの浄化を意識するわけだから、穢れた欲望を隠さずに求めてくる人間を拒絶する理由にもなるわけで。

 どうも、件の人物は宗教に無知なあまり、表面的なイメージだけで本質を外した話を語りがちである。滝行を肯定するなら、己こそが心身を浄めて、変な下心から解放された姿勢で、人付き合いに臨むべきだと思うがな。
 相手の宗教的動機がメリットという理論を展開したいなら、自分勝手な屁理屈でなく、きちんと勉強して、整合性のある話にしないと、創作としてもお粗末な話と言えよう。

Shiny NOVA@管理者 / 2021-10-20 06:53:02 No.571
 結局のところ、滝行は「煩悩や穢れを断ち切る」ところに修行の目的があるのであって、「煩悩や穢れだらけの人間が、自分の欲望をかなえるための理屈」に使うことは無理があるわけである。
 将来、滝行で身を浄めたいと考える人間(ぼくは違うが)を想定したとしても、だったら「自分の下卑た欲望(本人は麗しい友情の発露と言い張るかもしれないが、こちらにはひたすら気持ち悪いだけである)」を突きつけるだけで、「君との関わりそのものが身浄めに反する」という話になる。

 次に、自分に付き合うことが苦行であり、孝徳という下手な理屈を持ち出したが、孝徳の意味を理解していない愚かさを露呈していて、何というか創作家志望としても情けなさすぎる。
 孝という漢字は、小学生でも意味を知る機会があるわけで、「子どもが父母や老人に尽くすこと」を意味する。
 仁義礼智忠信孝悌の儒教道徳(里見八犬伝で有名)になぞらえるなら、仁か悌を持ち出すなら、まだ話は通じる。仁は慈しみだし、悌は弟などの年下の面倒を見る気持ちに通じるわけだが、親孝行の孝を持ち出した時点で、「言葉の意味を考えずに使うという、作家として無神経な有り様」に呆れる次第。

 まあ、言葉の意味という些細な揚げ足取りを置いておくにしても(相手の宗教的道義心に訴えるなら、専門用語の取り違えは無理解の表れとして軽蔑されるんだが)、
 自分に付き合って苦行を行えば善徳、福徳を積むという理論だが、それは同じ宗教を信じる同志、あるいは教え導く師匠という立場なら、一理ある話である。
 逆に、相手に苦行を求めるのが、赤の他人であり、宗教に無知な輩だと、理屈に合わない話になる。

 「優しい聖女」に、慈愛の心があるのなら、己の下卑た感情を受け入れろ、これが神の意思というものだ、と無理難題を要求する下郎にも似た理屈かな。
 当然、こちらは優しい聖女ではなく、宗教も含む歴史学者の卵なので(専門用語で言うなら菩薩よりも二乗=声聞、縁覚のレベルと自認)、下卑た感情やいたずらに憐れみを乞う態度には嫌悪感を覚えるものである。メリット云々は、宗教心ではなく、世法の常識から出た言葉である。

Shiny NOVA@管理者 / 2021-10-20 07:27:32 No.572
 世法の常識と、宗教的価値観は通じることもあれば、時として対立することもある。

 宗教的価値観で「世界平和のために祈る」という行為があって、では1日何時間の祈りを捧げればいいのか、という点で、自ずと在家と出家では異なってくる。
 在家は、自分の生活を優先しないといけないので、専門家である出家ほど祈りや教義研鑽に時間や想いを費やせない。それでも、生き方の理想として、過去の上人や信徒、修行者の生き方を参考にすることもあるし、悩んだ時の道標として経典の言葉を踏まえることだってある。
 もちろん、その教義が時代背景や文化環境の違いから、現実にそぐわない場合、どのように解釈して、現実を生きる知恵に昇華するかが悩みどころである。

 NOVAは、宗教者(仏教徒)を自認するが、それと同時に、大切なものがいろいろあるので、ガチガチの宗教人ではない。道徳の基盤ではあるにしても、宗教を理由に、現実の大事なものを捨てて自分に付き合え、などとほざくのは、筋違いというもの(ましてや、同志でも師匠でもないのに、苦行に付き合うことが善行などとは、よく言えたものである)。

 乞食が「俺に施すのが神の御心に叶う行為だ」と言い張って、偉そうに要求してくるような態度を、宗教者は是としない。乞食行も修行の一つではあるが、それは自分に施しを与えてくれる者への感謝の心を培って、偉ぶらない、慢心を戒めるための修行であり、欲望のためではない。

 世法のメリット云々を、相手の宗教心と絡めても、説得は上手く行かない。時として矛盾が生じることに、どう折り合いを付けるかが、現実を生きる宗教者の悩みでもある。

 ところで、自分が折り合いを付ける以上は、それを求めてくる人間も折り合いを付ける姿勢を見せることが、説得の技法では必要なんだが、件の人物は「要求するばかりで、ちっとも折り合いを見せない」よね。
 相手の許容できない度を過ぎた要求は、既得権益すら失うことになる、というのも世法の常識だし、世の中には求めても得られないことだってある。

 ルールや約束事を守れない相手と付き合うことには、ぼくの価値感の一つである「ゲーマー」としての信条から、共に卓を囲む相手に値しないという結論だ。
 宗教的にも、信頼に値しない相手の言は戒めるべき、欲にまみれた嘘つきは近づけるなって話になる。

Shiny NOVA@管理者 / 2021-10-20 08:00:08 No.573
>迷いましたがここに書き込むことにしました。

>いろいろ熟考を重ねたのですが

 今回のレスは、件の人物の「こういう前置きから始まった」んだが、16日の内容なんだな。
 つまり、青の掲示板で、「創作鑑賞を書いた」直後に、いきなりルール違反を犯したわけだ。

 こちらは、ここでの書き込みに気付いたのが19日の夜なので、今ごろの反応になったのだが、こちらの意図は簡単で、「ルールを守れる人間は客人として扱い、守れない人間とは関わりを絶つ」というもの。元より、管理人としては、ルールを守らない客人を許容していては、他のお客さんへの示しが付かないわけで、過去の経緯はどうあれ(総じて迷惑をかけられ放しだったが)、今、この場で明確なルール違反を犯していたら、感情論を抜きにしても処断せねばならないわけだ。

 本人も「迷いましたが」とか「いろいろ熟考を重ねた」とか書いているけど、おそらく、こちらが考えたり、迷ったりしたことには到底及ばないと思う。
 迷ったり、熟考を重ねた結果の理屈や行動が、もう本当に浅はかで、「下手な考え、休むに似たり」というか、
 「相手に自分の要求を叶えるための熟考」が、相手の言い分や立場をちっとも配慮していない、自分本位の要求の繰り返しでしかない時点で、アウトなんだよな。

 再三、「その要求は気持ち悪い」と言っているのに、それを繰り返している時点で、こちらが感情的に嫌悪感を募らせていることは明らか。
 これは、もはや理屈でもないし、管理人の立場抜きの感情論で言うなら、「お前とは関わりを持ちたくない」の一点で、結論は出ているんだ。気持ち悪い要求を断念するとか、全面的に取り下げる宣言をしない限りは、リアルで会うことも無理だし、一度、そういう人間だと見なされたら、警戒する気持ちは消えない。

 迷ったり、熟考しても消えないような想いなら、もう、どうしようもないじゃないか。こちらは決して受け入れたくないので、無理やりにでも断ち切るしかないわけで。
 何を言われても、許容できないものはあるってことで。

Shiny NOVA@管理者 / 2021-10-20 08:32:09 No.574
 感情を押し殺して、相手の迷惑になるようなことをしない。
 そういう殊勝な態度を続けて、大人しく振る舞えるなら、こちらも嫌悪感を押し殺して、「フィクションのファンと、場を管理する人間として、絶縁することなく付き合えた」かもしれない。

 ただ、そういう関係じゃ満足できずに、さらなる深みを懲りずに求めて、しかも、よく知りもしない宗教的道義心にまで踏み込んで来たのは、今回、最悪の一手だったと判断するね(最悪をさらに更新したとも)。

 政治や宗教、それに性関連は、元来センシティブにして、デリケートなテーマで、軽々しく踏み込むのは危険というのが、世間の常識と考える。
 価値観が同じであれば、同志として話が弾むこともあるが、そうでなければ、場の空気をおかしくするし、ぼく個人は宗教を現実、フィクション交えて、それなりに文化論として趣味的に勉強してきた経緯もあるから、そういう観点で話をすることもできるが、自分の主義主張を誰かに押しつけるつもりもないし、相手の思想信条も理解はするが共感しない、と言うことだってある。

 理屈は分かった。だけど、同意しない。アンダースタンドだけど、アグリーできないというのは、現実の人間関係でもよくあって、「君がそういう物を好きだということは分かったが、自分には付いて行けないので、これ以上、話題にはしないでくれ。OK?」ということを解するのが、オタクの付き合い方だと考える。
 元より、当サイトの常連客人でも、全てを分かり合えることは不可能だし、こちらも全てを受け入れて欲しいとは思わない。付き合える範囲で、話題を限定して付き合うことを楽しめれば十分で、それを過剰に逸脱するような要求を重ねられたなら、趣味のサイトの運営にも支障をきたすようになる。

 そもそも、一回会っただけの人間に、「一晩抱き合って寝ましょう」なんて要求をして来るのは、男女関係なく、頭がおかしいというのが自分の常識だし、まあ、それをいうなら、自分にも「頭のおかしい部分」はあるのだろうが(それこそが創作芸の元にもなると思う)、頭のおかしい要求を相手にしつこく重ねると、人間関係を大いに損なうわけで、何事も引き際が肝心だと考える次第。

 苦行なら十分してきたので、諦めて試合終了でもいいかな。答えは聞いてない。

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