Dr.イリノア診察室【アズマ編】「我知らぬ巫女」(2)
エマ / 2014-05-14 02:21:00 No.2340
自意識。

ときどき、人は「物心がついた頃には」と昔を懐かしむことがある。
ある意味、「自分」そのものとでもいうべきその「現象」は、人間が生まれて、自分の足でようやくたどたどしく立てるようになる3,4歳ころに発露すると言われている。

友達にからかわれて、顔を赤らめる。自分の鏡を見て、それが自分だと認識する。これはすべて、「自意識」によって起こるものだ。

その自意識は、脊椎動物の中でも存在が珍しく、人間やチンパンジーといった、ごく一部の霊長類にしかないとも言われている。

守護天使たちの前世。その多くは動物の頃、脳の大きさ・キャパシティの問題なのか、または神がそれを許さなかったのか、分からないが、自意識を持つチャンスは生涯にわたって存在しなかった。

彼らは、一度死に、守護天使となって人間の姿を獲得した瞬間、人間と同等の知性を与えられ、急激に意識が拡張し……。つまり、守護天使となったときに、初めて自意識を獲得するのだ。

その、人間と同じ、守護天使なら当然の権利として持っているはずのものを、この眼の前にいる少女は持ち合わせていない。

「アズマ……君は……」

「自分のことが、本当に何も分からないのかい? 思いを馳せたこともないのかい?」

「自分……ですか?」

自意識がないということは、感情がないということ以上に致命的だ。理由は言うまでもない。自分自身を認識したり、自分自身についてなにか思いを巡らすという、どんなに知能に乏しい人間でも持っている、自分を守り、育むための、あって当たり前のものがないということだ。

いわば、『人として成り立っていない』ということなのだ。

「う……うううう……」

アズマの瞳孔が大きく開き、彼女は静かにうなり声を上げはじめた。そのまま、頭を抱えたまま動かない。それはちょうど、パーソナルコンピューターが、不具合によってユーザーの操作に反応しなくなる、「フリーズ」という現象を連想させた。

これでは……まるで……。

イリノアは、口に出すことを思わず躊躇うような印象を、持ってしまった。

感情はおろか、自意識すら持っていないんじゃ……。

そう、『ロボット』ではないか。

あるいは、『人形』……。以前、フェンリル隊員である、蠍のクリムゾンが言っていた『まるでお人形さんみたいな子』という表現……それは、めったに表情を動かさないという、外見的な特徴以上に、的を得た表現だったのだ。彼女が、そこまで見通していたかは分からないが……。

おそらく、先の鏡のテストで、鏡に写った自分の姿を自分だと答えたのは、本当にそう理解したのではなく、天神会で機械的にそう訓練されたからだろう。生来的に自意識によって認識したからではない。だから、あそこまで返事に時間がかかったのだ。

「フリーズ」状態から抜け出せないアズマの頭を少し揺すって、イリノアは声をかけた。

「ごめん。もういいよ。ちょっと話題を変えよう」

幸いというか、イリノアの内心の祈りが通じたのか、少女は唸るのをやめ、元の状態に戻ってくれた。

「……はい」

彼女の発する『私』という単語も、おそらくは形式的に『覚えろ』と、天神会によって教育された結果に違いない。いわば、彼女の『我』というのは、人工的に作られた紙風船のようなものだ。中身はなく、叩けば簡単に潰れてしまう、とても危うく、脆い。それは……とても『自我』と呼べるものではない。

イリノアは、こうした彼女の事情を踏まえた上で、ずっと確かめたかった質問をアズマに投げかけた。

「前から聞きたかったのだが、君は、自分が今、どんな任務……『仕事』をしているのか、本当に理解しているのかい?」

「敵とはいえ……罪を犯しているとはいえ……同じ、命ある者たちを……殺めているのだよ?」

「……はい」

「それも、一人二人じゃない。話に聞いたところ、今回の戦いだけで、君の攻撃で……大勢が死んだ」

「それが……与えられた……天命ですから……」

「君は、それでいいのかい?」

「……わかりません」

続けるべき問いかけの言葉が見つからない。彼、イリノアは、多くのフェンリル隊員のメンタルの状態を見てきた。特に、今まで印象的だったのは、フェンリルで最も優秀な隊員の一人と言われる、『白鷺のサキ』だ。

彼女は、その特別な事情により、多くの罪を犯し、彼女はその重荷……いや、守護天使としては決定的な、『罪の十字架』とでも形容したほうがいいほどの辛い記憶を背負って、戦っている。あまりにもその罪の意識が重すぎて、イリノアが開発した特製封冠の精神安定装置の助けがなければ、自我を保っていられないほどだ。それでも、彼女には、自分がやっている……任務における『殺戮』の意味を理解している。受け止めるだけの『心の強さ』がある。その代償で、自分の心がさらに冷たくなっていくという恐怖心とも戦っている。今にも罪で押しつぶされてしまいそうな『自意識』……。
しかし、それが、生きているということなのだ。

それが、この少女には……無い。

ある意味では、自覚できない分、意図せずに、罪から逃げおおせているという見方もできよう。そうか、それが……貴方の狙いか。イグアナの……ロイ。

「罪の意識を感じずに……何百人の命を奪う」

「……はい?」

そうだ。まともな自意識がある人間なら、とても耐えられない十字架だ。かつて、人間界に存在する、かの超大国が、自軍の兵士の精神分析を行った末に得られた貴重なデータがあるという。

人を殺めることに抵抗を感じない人間は、わずか2%。人類全体の2%ではない。『人を殺すことを強制される』兵士たちの中での2%だ。
逆に言えば、戦っている人間の98%は罪にさいなまれ、その罪の意識は除隊後も残り、その後の社会復帰を困難にさせる。PTSDと呼ばれる症候群の主要原因だ。

たった1人殺めただけで、その人の人生は狂う。それが普通だ。それがまともな人間だ。中には贖罪のために自ら死を選ぶ者さえいる。
それを、数百人の人生を自分が奪うことになってしまったら、普通の人間なら、絶対に耐えられない。耐えられるはずがない。もし平気な者がいるとしたら、それは狂人か……あるいは……。

眼の前にいるこの子……『自意識』を持たない者だ。

エマ / 2014-05-14 02:22:00 No.2341
「それが、彼ら……フェンリルが君を利用する理由なんだ。それがわかっているかい?」

「ええと……」

 思わず、イリノアはアズマの両肩を掴んでいた。

「いいかい。君は、利用されているんだ!」

「利用……ですか?」

 イリノアは語気を強める。

「下手をすれば、君は戦死するまで永遠に戦いを強いられるかもしれない。大量に殺戮を繰り返しながら……」

「あの……」

 目を覚ませ、と言わんばかりに、彼はアズマの肩を揺り動かす。

「今の自分に気が付かなければ……それに、『ノー』と言わなければ、もしかしたら一生このままになってしまうかもしれないよ!」

「……イリノア様……痛い……です」

 アズマの華奢な肩に、力を込めすぎていることに気がついた。

「ああ、ごめん。少し、興奮してしまって……」

「いえ……」

 冷静であるべきプロの自分が……イリノアは後悔の念に襲われる。だが、普段めったなことで動揺しない彼が、ここまで熱くなったのには訳がある。彼は、クールな精神科医であると同時に、ヒューマニスト(人道主義者)でもあった。このような、人を人とも思わない扱いが平然と行われることに対して、彼の心は黙っていられない。彼の強固な理性が、抑えようとしても……それと同じくらい強い気持ちが、心の底から湧いて出てしまうのであった。
 この相反する2つの力の均衡を崩したのは、この少女が久しぶりだ。
 深呼吸をして、彼は再び、理性の優勢を取り戻す。そして、話題はようやく、今日の本題に入った。

「そうだ。実はね、今日はあるものを、君に渡そうと思って、君を呼んだんだ」

「まぁ……なんでしょうか?」

 アズマの声が、心なしか、多少弾んでいるように感じる。おそらく、感情ではなく、好奇心という欲求からくるものだろう。

「君のための、新しい封冠だ」

「あ……。すでに、天神会から封冠は頂いておりまして、それを装着しておりますが……」

「ああ、それは知っている。その天神会から許可を得ていてね。君の今の封冠をベースに、私が機能を付け足したものなんだ」

「機能……ですか?」

「ああ、君の戦いをサポートしてくれる機能だよ。ただ……」

「はい」

 イリノアは、天井を見上げ……少し深呼吸をした。彼の明晰な頭脳は一瞬のうちに考えをまとめ、アズマに向き直った彼に結論を与える。

「これを渡すのは、もう少し後にしようと思う」

「……なぜでしょう?」

「今回、君のことが改めて、色々分かった。だから、そのことをこの封冠に反映させようと思うんだ」

「はぁ……」

「だから、すまない。もう少し待って欲しい。あと……」

「はい」

 椅子から立ち上がり、イリノアはアズマのカルテを机の棚にしまうと、彼女に優しく声をかけた。

「何か、困ったことがあったり、教えて欲しいことがあったら、いつでも私を尋ねなさい」

「あ……よろしいのですか? ご迷惑では……」

 アズマはわずかな戸惑いの表情を見せる。これも、『訓練』の影響が多少なりとも入っているのだろうか……。まぁ、どちらでもいい。
 心配無用と、イリノアは穏やかな笑顔で応える。

「遠慮は無用だよ。むしろ、君の役に立てることが、私の、医者としての望みでもある」

「……ありがとうございます。それでは、今後とも、色々ご教示くださいませ」

「さぁ、今日の診察はおしまい。また部屋でゆっくり休んでおいで」

「はい。ありがとうございました」

再び車輪付きのベッドに横になり、助手の守護天使たちに運ばれて、アズマはイリノアの診察室を後にした。







アズマを帰すと、イリノアは椅子の背もたれにもたれかかり、ほっと息をついた。

「ふう……大変な患者を抱えてしまったな」

「そう言うな。プロならどのような要求にも応えるものだろう」

いきなり背後から声がしたので、イリノアは思わずすくみあがった。

「き、君は……!」

底冷えのするような、極太の声。2メートルを超える巨体。
忘れようはずもない。先ほど、悪夢の中で自分を殺した相手が、そこに立っていた。

「カムド……!」

                              (つづく)

エマ / 2014-05-14 02:28:00 No.2342
どもー。「我知らぬ巫女」の続きです。

まず一言。
「ごく一部の霊長類を除いて、動物には自意識がない」という部分ですが、

「んなことねぇよ! アリさんにだってススメバチさんにだってGさんにだってあるよ! みんな生きているんだ友達なんd(ry」

というご意見がきっとあろうことかと思います。これは、あくまで私の考えです。もちろん、いろんな意見があって当然だと思いますので、「いや、違うよおまい間違ってる」と思う方は、この記述は華麗にスルーしてください^^;

さてさて、次回はいよいよイリノアさんとカムドの対峙ですぞ。果たして、どうなる!?

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