Dr.イリノア診察室【アズマ編】「我知らぬ巫女」
エマ / 2014-05-04 01:01:00 No.2336
サバイヴ・アワー・ブラッド ― 断章

Dr.イリノア診察室「我知らぬ巫女」



気がつくと、夢魔イリノアは、暗闇の中にいた。
零下かと思うほどの激しい寒さ、肌の痛覚が悲鳴を上げている。

「はぁ……はぁ……」

イリノアの呼吸は激しく乱れていた。息が続かない。
何かに驚愕し、何かに恐れおののいて、彼はずっと逃げてきたのだ。

走って走って、急にそれ以上走れなくなる。何かにぶつかって、行く手を阻まれる。
暗闇に溶け込んだ岩肌が、目の前を遮っていた。

ざくっざくっ、と足音がして、恐怖の対象がついに彼の元へやってくる。

「諦めろ。夢魔」

急に伸びてきた大きな手に首根っこを捕まれ、背後の岩肌にたたきつけられる。

「くっ……ああっ!」

あまりの衝撃に、肺から思わず息が漏れる。
首を絞められた状態で、なんとかイリノアは、自分を追い詰めている『魔物』の姿をとらえた。
2メートルはゆうに超えている、熊のような巨大な体躯。
鍛えぬかれた筋肉の塊の上に、金属製の鎧をかぶっている。頭部をほぼ覆っている鉄兜から、唯一くり抜かれた目の部分から、赤い眼光が漏れる。
とても一言では形容しがたい、武闘の権化のような男が、まるで油圧機械のような怪力で自分を押さえつけていた。
兜の隙間から、ゆっくりと口を開く。

「逃げおおせるとでも思ったか」

「ま、まってくれ……なぜ私が……」

必死の問いかけは、すぐに打ち破られる。

「理由は自分がよくわかっているはずだ」

目の前の大男が、すっと腰に手を伸ばす。そして何かを抜いた。

「これがわかるな?」

彼が手にしたもの……。普通の剣士が持つには長大すぎる、その剣……。戦闘などの血なまぐさい事情からはやや遠い立場にいるイリノアも、噂だけには聞いたことがあった。

「聞くところによると、夢魔という生き物はどんなに体を傷めつけられても死なないそうだな」

ありとあらゆる生命体を、一撃の名のもとに討ち滅ぼすという、強力無比の一撃必殺の邪剣、『殲魂』。呪詛悪魔はおろか、全知全能の神仏さえも殺すと言われている、別名『神殺しの剣』だ。

「だが、この剣で斬られれば……いや、この剣の邪気に触れただけでもどうなるか……わかるな?」

「待ってくれ……!」

イリノアは、閉められた首からなんとか声をひねり出し、弁解した。

「誓ってもいい。私は君の妹さんを売ったりなど……!」

男は、イリノアの弁解を無視した。大きく振り上げられる邪剣。

「や、やめ……!」

死にたくない。彼は死そのものを恐れているわけではなかった。死ぬことで、未だ叶えられていない彼の願いを絶たれるのが、恐いのだ。
まだ、自分は約束を……彼女との約束を果たしていない。
自分が勝手に、想い人に向けて誓った、一方的な約束……。彼女に頼まれたわけでもない。果たしたところで、感謝されるかすらわからない。それでも……それでも、果たすことで少しでも彼女に近づけるなら……。

それを今、絶たれるわけには……!

世界最悪の邪剣が、その望みを絶とうとする。
その『鬼』は、無慈悲に死の宣告を放った。

「死ね」

イリノアは、絶叫した。

エマ / 2014-05-04 01:02:00 No.2337
「や……めてくれー!!」

急に開けた視界、まぶたを指す蛍光灯の明かり。

イリノアは瞬時に、荒れ狂う混乱が徐々に冷めていくのを感じた。ここが、最も自分が居慣れた場所であることが視界の情報から明らかとなり、そして、それまで不思議と感じなかった重力が、自分の体に押しかかって、彼に現実の実感を与えていく。
それでも、7,8秒はかかっただろうか。自分が診察用の簡易ベッドで仮眠をとっていた数十分前のかすかな記憶が蘇ってきた。

「夢……」

そう、彼は悪夢に苛まれていたのだ。

彼は、仮眠前に格闘していたデスクの上の資料を手にとった。

「これのせいだな……」

悪夢の元凶が、そこにあった。349番と書かれたカルテの写真に映る、一人の少女。
そしてもう一方の資料にある、途方も無く大柄な男の写真……。

ブザーが鳴った。

「先生、例の患者さんが意識を取り戻しました」

「ああ、ありがとう。では、ここに運んできてくれるかな」

5分ほどすると、イリノアの助手と思われる、二人の女性守護天使が、患者を乗せた車輪付きのベッドを運んできた。

「ありがとう。これから診察に入るから、悪いが二人だけにさせてくれ」

指示に従い、静々と退出していく助手たち。再び、部屋に静寂が戻り、イリノアは立ち上がった。
その顔には、すでに先程のような恐れはなく、プロの精神科医としての精悍さがすでに戻っている。

「さて……と」

イリノアは、深呼吸をして、ベッドの上の患者……まだ二十歳にもならないであろう、少々あどけなさを残した一人の少女の顔をうかがった。

その少女は……。目はわずかに開いており、意識を確かに取り戻していることがわかる。だが、まだ十分な体力が戻っていないのか、彼女は首から下を動かせないでいた。

「私のことが、わかるかい?」

その少女は、ゆっくりと頷いた。

「念のため、確認するよ……自分の名前を、前世名と一緒に言ってみて」

「イタチの……アズマ……です」

手元のカルテを確認する。写真、印字された名前と前世……。もはや確認の必要は全くないくらい、彼女のことは検査で調べてすでに知っているのだが……手順に則って確認した。それは、イリノア自身というよりも、今思えば、このアズマという少女自身に、確認させるためでもあったかもしれない。

「体を起こせるかい?」

「あ……」

弱々しい息を漏らす。どうやら、まだ上半身に力が入らないようだ。

「手伝うよ。ほら……」

腰をかがめて、利き手を彼女の頭の後ろに回す。

その時、ふいに、この少女の瞳が目に入った。何の色も映し出さない、透き通った水晶のような目……。大きく開かれた瞳孔……まるで宝石のように綺麗な目だ。しかし、そこからは、不思議な美しさの他に、なんの情念も意思も感じ取れない……。逆に、見ている自分の意識が吸い込まれていきそうな錯覚を覚え、イリノアは思わず彼女から目をそらした。

「あの……どうか、なさいましたか?」

「い、いや……ないでもないよ」

呼吸を整え直し、イリノアはアズマの肩を支えると、彼女の上半身を起こしてあげた。

「お手数をお掛けいたしました……その……」

「うん?」

「私は……どれくらい、意識を失っていたのでしょうか?」

 まだ少しぼんやりとした表情で、少女はイリノアの顔を見つめる。無理もない。任務で起きたあの『ショック』以降、意識不明の状態は相当長く続いた。一時は、このまま意識は回復しないのではないかと言われていたくらいだ。状況を全く把握できないでいるのは当然のことだろう。
 イリノアは、この少女に時間感覚を取り戻させるため、単純に事実を告げた。

「ちょうど、3日と4時間といったところだね」

 この少女……アズマはそれを聞くと、ようやく意識が覚醒したのか、表情に生気が戻ってきたが、同時に『きょとん』とした顔になった。3日間、という言葉に驚いたのか、実感がもてないでいるのか……。職業柄、患者の表情の変化から気持ちを読み取ることに長けているイリノアでも、その意味するところは掴めなかった。
 不思議な少女だ。無表情な子、という評判は聞いていたが、正確には表情に変化が全くないわけではない。わずかだが、表情に変化はある。ただ、専門家からしても、そこから彼女の精神をうかがい知れないところが、『無表情・無感動』と彼女が評される所以なのだろう。
 イリノアの手を離れ、上半身をようやく自力で起こした状態で、アズマは10秒ほど沈黙を続けた後に、再び口を開いた。

「あの……任務は……」

「ああ……」

「あの戦いは……どうなったのでしょうか?」

「戦いは、終わったよ。フェンリル側の勝利……敵の呪詛悪魔たちは全滅したそうだ」

 イリノアは、結果を気にしているアズマを安心させようと、穏やかな顔でフェンリルから受けた報告をそのまま告げた。また、その報告の中で、彼が個人的に衝撃を受けた事実も付け加える。

「半分以上、君一人の功績でね」

 この少女の全身を改めて視界に捉える。こんなか細い女の子が、たった一人で戦況を一変させたのだ。一体どんな力を使ったのだろうか。フェンリルからの報告には、アズマが具体的にどのような方法で戦況を変えたのかについては、書かれていなかった。一契約医師にそこまで知らせる必要は無い、ということなのだろう。想像するしかないが、それにしても、この本人は、自分が成し遂げた功績に対して、名誉や達成感はおろか、自負さえ感じていないように思える。
 ボーっとしている、というわけではないが、どうも、彼女自身、その実感を覚えていないようなのだ。まだ記憶に混乱が生じているせいだろうか? それなら心配はないのだが……。
 イリノアは、そんなことを考えながら、次にこの子に伝えなければならない、深刻な事実も口にする。

「ただ……」

「はい……?」

「悲しい知らせがあるんだ」

「……なんでしょうか?」

 目覚めたばかりのこの子にとって、ショックにならないだろうか? イリノアは心配したが、いずれにしろ、今日中には必ず伝えなければならないことだ。彼は意を決した。

「君のチームの……お兄さんと一緒だった、3人目のメンバーがいるだろう?」

「はい」

「彼は……この戦いで亡くなったよ」

「え……?」

狐につままれたような、鈍い反応だった。今、私が言ったことが、理解できているのだろうか? イリノアは、この、先の戦いでとてつもない成果を挙げた功績に比べ、あまりにも頼りない反応をするこの少女に、意味を理解できるよう言葉を変えて、同じ意味を伝えた。

エマ / 2014-05-04 01:03:00 No.2338
「彼は……戦死したんだ。死んだのだよ」

ようやく、その意味がわかったのか、彼女はしばらくの沈黙の末、自分でその意味を反芻するかのように、今回の殉職者の名前を口にした。

「ゾルゲ……様が?」

「うん……。残念だよ。せめてもの冥福を祈ろう」

アズマは、手を合わせて、目を閉じ……しばらく何かの文言を唱えていたようだったが、やがてそれをやめると、再びその不思議な目を見開いた。
これが、彼女の、いわゆる『祈祷』というものなのだろうか?
祈祷を終えたアズマは、すでに元の様子に戻っていた。
短い付き合いだったとはいえ、自分のチームメンバーが亡くなったというのに、その何の憂いもない表情は不思議としか言い様がない。何百人という患者の表情を見てきたイリノアですら、その乏しい表情が意味するところを掴めずにいた。

「悲しくは……ないのかい?」

「……よく……わかりません」

「そうか。悲しいという気持ちが、よくわからないのだね?」

「はい……」

このアズマという少女は、フェンリルの他に、天神会という組織に所属している、やや特殊な事情を持つ守護天使だった。天神会とは、動物が守護天使に転生する、『輪廻転生』というプロセスを、安定的に稼働させるシステムを維持管理する組織である。その組織では、機械技術だけではなく、霊力を持った守護天使たちの『祈祷』によって、システムを稼働・維持するという珍しい方法をとっていた。
その中でも、この少女はその『霊力』がずば抜けて高く、天神会の中では『稀代の巫女』とすら呼ばれているらしい。
しかし、その特殊な能力と引き換えになったのかは不明だが、彼女はその心に、大きな問題を抱えていた。

彼女の心には、『感情』という要素が欠落しているのだ。

『嬉しい』、『悲しい』、『悔しい』、『恐い』……。彼女の場合、そうした気持ちは一切、発露することがない。感じることができない。そして、それを感じる普通の人間の感覚を理解できないのである。

そんな少女に、イリノアは助け舟を出した。

「でも、死んで欲しくは、なかっただろう?」

「……はい、それは……もちろん」

アズマは小声で返事をする。

どうやら、『欲求』という心の要素はあるらしい。しかし、それもどうも、精神的な『欲求』は身体的なそれよりもだいぶ弱いようだ。実際、この返答もどことなく弱々しく、実感を伴わない感じだった。

「あの……」

このような事情を持つ彼女が、自発的に発する発言は、尊重し、注目しなければならない。
イリノアは、できるだけ自然な笑顔を作って頷いた。

「なんだい?」

「あの……ゾルゲ様がいなくなって……。私と兄は、どうなるのでしょうか?」

イリノアは、少し迷った。どこまで話せばよいのだろう。たしか、彼女の兄であるカムドには、チームの責任者として、長い事情聴取が行われると聞く。話を聞く限りでは、彼はゾルゲが死んだ責任を負わされそうなのだ。

「もしかしたら……お兄さんは、しばらく家に戻れないかもしれないね」

「え……どうしてでしょうか?」

「うーん、それはだね」

アズマを動揺させることになりそうで、言うのは一瞬ためらったが。しかし、この子はすでに18歳だ。少なくとも、もう子供ではない。それに、感情が欠落しているのなら、そう心情不安定になることもあるまいと思い直し、イリノアはその理由を答えた。

「フェンリルの上層部の人たちが、ゾルゲが死んでしまった理由……というか、責任の所在を確認したがっているのさ」

「それが、どうして……兄が帰宅できないことになるのでしょう?」

「いや、だからそれは……」

たとえ、感情がなくても、物事を考えることはできるはずだ。少なくとも、初対面の際に彼女と少し話した時に、平均的な大人の水準、とまではいかないが、歳相応に、物事を筋道立てて考える論理性は持っているはず、とイリノアは判断していた。

しかし、今のこの反応は……。

「うーん、なんと説明すればいいかな……」

「申し訳ございません。あの、そういう難しいことを、今までよく考えたことがなかったものですから」

「では……それを今、視点を変えて考えてみようか。もしアズマ、君がまず……自分の立場だったら……」

「自分……ですか?」

「うん」

『自分の立場だったら今、どうしたい? 例えば……お兄さんと話したいんじゃないかな?』
『でも、今度はフェンリルの偉い人の立場で考えてみようか、彼は大事な部下を失って、その理由を知りたがっている。では、彼は何をしたがるか……』と、そんな風に話をつなげるつもりだった。
が、その話を切り出す前に、妙な違和感に襲われて、彼は口を止めた。

「ん?」

目の前の少女が、小声で、ぼそぼそとつぶやいている。聞き取りづらかったが、次のようにつぶやいていた。

「自分、アズマ、じぶん、わたし……アズマ……じぶん……わたし……」

自分、アズマ、わたし? 一瞬、なんのことかと思った。

だが、それらが単に言葉の言い換えに過ぎないこと、そしてその堂々巡りに陥っているようなこの少女の様子を見るに連れて、
イリノアの脳裏に、ある仮説が浮かんでいく。

「あーでは、思い切って話題を変えてみよう。ちょっと待って」

イリノアは、戸棚から大きな鏡を取り出して、アズマの方を向いた。

鏡には、彼女の半身が写っている。

「鏡には、何が写っているかな?」

「……わたしが、写っていると思います……」

この答えが返ってくるまでに、ゆうに十五、六秒を要している。

ますます深まる疑惑。

「今は、君は検査着を着ているけど、ちょっと味気ないよね。もう少しおしゃれしてみようか」

イリノアが少し念じると、鏡の映像が変化し、次の瞬間には、人間界の繁華街で年頃の女の子が歩いているような、おしゃれ着を着たアズマが写っていた。これは鏡の機能で、写った人間のバーチャルな着せ替えができるものだ。

アズマは、すっかりおめかしした自分の姿を見て、狐につままれたような顔をしている。

「やぁ、すっかり可愛らしくなったね」

女性を褒めるというのには全く慣れていないイリノアだが、努力して言葉を続ける。

「君はどう思う?」

「……興味深いです」

「いや、そうじゃなくて。そうだな……この服を着て、どう思われたい? 例えば、お兄さんに。あ、好きな男の人がいれば、その人のことでもいいんだよ」

「どう思われたい、とは……どういう意味でしょうか?」

「どう思われたい」という言葉が理解できない。

なんということだろう。この子には、感情というものが存在しないとは事前情報として聞いていた。しかし、こうして問診を続けていくにつれ、恐るべき予感が、医師であるイリノアの背筋をかけ登っていき、それは冷たい汗となって、彼の額に現れていった。

遠回しな質問はやめることにした。もう直球で確かめるしか無い。

「ねぇアズマ。君は……今まで、自分について考えたことはあるかい?」

「…………」

黙りこんでしまった。その視点は虚空をぼんやりと見つめ、不安そうに揺らいでいるばかり。

「あの……天神会の教育でも、覚えろとしかいわれていなくて……」

「以前から、誰かにお聞きしたかったのです。イリノア様」

「うん……」

「『私』とか『自分』というのは……、一体、どういう意味なのでしょうか?」

間違いない。

この子は……この子には……。

自意識がない。


                          (つづく)

エマ / 2014-05-04 01:11:00 No.2339
ついに公開できました……Dr.イリノア診察室【アズマ編】。

着想したのは、なんと2004年あたり! 実に、構想10年!! 宮崎駿監督も真っ青ですぜダンナww

その割に、出来の方と言ったら……(;´Д`)

でも、まぁこれで、アズマやカムドがどんなキャラクターなのか、ようやく正式SSとして表現できたことは確かです。ようやくか……と、ほっと息をついております。

で、最初に出てきましたが……そうです。ついに決まったんです。アズマとカムドの小説シリーズのタイトルが。

それは……。

            サバイヴ・アワー・ブラッド

昔は「双想絆」という仮タイトルだったんですが、なんかギャルゲっぽいな、と思ってボツに……。こっちのほうが断然カッコイイぜw

「サバイヴ・アワー・ブラッド」、その意味はですね。

「私たちの血の呪いを超えて生きていけ」

という意味です。果たして、どんな意味なんでしょう? 残念ながら、それが明らかになるのは、このSSではなく、小説本編になってしまいますが、フフフ……。本編は期待していいぞよw

とまー、とりあえず。能書きはここまでにして。

このDr.イリノア診察室【アズマ編】「我知らぬ巫女」ですが、あと2〜3回の投稿で完結します。

もうしばらくお付き合いのほどを。まったね〜〜〜♪





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